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「韓国近代市民の源は東学とハングル」
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【新刊】宋虎根(ソン・ホグン)著『市民の誕生』(民音社)
「ここ(ソウル・貞洞)から東大門まで、大通りがまっすぐ続いていた。商業と組合の街だ。(中略)建物の各階
はユニークな陳列台で、ありとあらゆる職種や商会が入居している。鍾路は不満勢力がデモのために集まる
場所でもある」
これは1904年、フランスの鉄道技術者エミール・ブルダレが見たソウル・鍾路一帯の様子だ。一見、ごく普通
の都市の風景を描写したかのような文章だが、ソウル大学社会学科教授の著者は、この文章に「市民的原形
の芽生え」を見いだした。当時既に、近代の先兵たる商人階層が排他的な同業組合を結成して活動しており、
「不満」や「デモ」という単語は、社会が中世的な土壌から決別していたことを意味しているという。
前作『人民の誕生』に続く本書は、「近代韓国人」なる存在が果たしてどのように出現したのかについて分析を
試みた。そのために「国家と市民社会を媒介する世論形成と結集の領域」というハーバーマスの「公共圏」概念
を借用した。公共圏とは、特定の階層が自らの利益を貫徹するために活用する情報・商品の流通領域、印刷
メディア、会合、討論団体、交通網など総合的なネットワークだと言える。開港後、それまで公共圏を独占して
いた両班(ヤンパン=朝鮮時代の貴族階級)の影響力は衰退し「知識人の公共圏」と「平民の公共圏」は互い
に連帯し共鳴するようになった。この過程で「市民意識」が芽生えたという。
とすると、平民の公共圏の主体とは一体誰だったのか。著者によると、既にハングルの使用により歴史の舞台
に姿を現していた新たな「文解人民」が「自覚人民」に転化し、朝鮮の近代移行期に宗教・政治・文芸の領域で
両班の公共圏を代替していったという。「おのずから天の道を悟り、実行することができる」という崔済愚(チェ・
ジェウ)の東学思想がこうした人々を育て、1894年の甲午改革でハングルが国文の地位に格上げされると、こう
した人々が活躍できる「言文一致の世界」が到来した―というのが著者の分析だ。
こうして誕生した近代的社会と「個人」は、その後市民社会へ進化することもできる出発点だったが、日本による
韓国併合(1910年)で朝鮮の近代は突如として途切れた。現在の「市民」に当たる存在は、想像力の空間である
文学の領域で活動するしかなかったという。歴史で「近代移行」の十分条件といえる経済的下部構造について、
分析が十分ではない点が惜しい。548ページ、3万ウォン(約2900円)。
兪碩在(ユ・ソクチェ)記者
ソース:朝鮮日報日本語版 記事入力 : 2013/12/22 06:02
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