【週刊新潮】朴槿恵大統領の父・朴正煕元大統領は「米軍慰安婦」管理者だった!朝鮮戦争時には強制連行も行った韓国★2[12/05]at NEWS4PLUS
【週刊新潮】朴槿恵大統領の父・朴正煕元大統領は「米軍慰安婦」管理者だった!朝鮮戦争時には強制連行も行った韓国★2[12/05] - 暇つぶし2ch2:帰って来た仕事コナカッタ元声優φ ★
13/12/05 17:47:55.97
>>1の続き

そもそも、“米軍慰安婦”の前には、朝鮮戦争時、“韓国軍慰安婦”が存在していた。それは、02年、立命館大学の国際シンポジウムで、
韓国の金貴玉(キムギオク)慶南大客員教授(当時)によって初めて明らかにされた。
韓国陸軍本部が56年に編纂した『後方戦史(人事篇)』のなかに、“特殊慰安隊”と呼ばれた軍慰安所の存在を裏付ける記述を見つけたのだ。
その後、金教授は『軍隊と性暴力』に収録された論文において、

〈設置時期は不明確だが、一九五一年夏ごろに戦線が現在の休戦ライン付近で膠着状態に入ってからと思われる。
閉鎖されたのは一九五四年三月である。(略)陸軍本部はまる四年近く軍「慰安所」を運営したのだ〉

とし、

〈(『後方戦史』の)実績統計表によれば、一人の「慰安婦」が一日に六回以上「慰安」を強要されていたことがわかる。
また、「出動慰安」の場合、一日二〇~三〇回の「慰安」を強要されたものと考えられる。
(略)前線での「慰安部隊」の利用はチケット制であった。しかし誰にでもチケットが配られたわけではない。戦場で勇敢に戦い、功を挙げた順番に配られる〉

要するに軍直轄の慰安所だったのだが、前線に慰安婦を送るときには1人ずつドラム缶に押し込み、“補給品”名目でトラックに積んでいたという。

もとより韓国政府や朝日新聞などは“日本軍慰安婦”の強制連行を騒ぎ立てているものの、
未だにその証拠はなんら見つかっていない。翻って、“韓国軍慰安婦”の場合はどうだったのか。

聞き取り調査の結果として、金教授は、

〈十代後半の未婚女性で、一九五一年春まで咸鏡(ハムギョン)南道永興(ヨンフン)郡に住んでいた。
ある日、韓国軍情報機関員、いわゆる北派工作員たちにより拉致され、一日で韓国軍の軍「慰安婦」へと転落した。
(略)また、強姦の結果、「慰安婦」とならざるを得なくなったケースもある。
(略)韓国軍「慰安婦」制度はあくまで軍による性奴隷制度であり、女性自身は性奴隷であったといえる〉

と明らかにしている。

すなわち、口を極めて日本を批判しながら、当の韓国が強制連行という罪を犯していたのだ。にもかかわらず、
韓国国内ではこれらの事実はほぼ黙殺され、『後方戦史』は現在、閲覧不可の状態になっているという。

おまけに、韓国の官営セックスビジネスは、それで終わらなかった。
朝鮮戦争が53年に休戦になると、駐留米軍の基地周辺に、“基地村”が形成され、政府公認の売春婦が集められたのである。

韓国問題に詳しいジャーナリストによれば、

「米軍政下の47年、韓国では公娼制度が廃止されました。とはいっても、基地村は実質的に公娼の復活だった。
米軍相手の売春婦はUN慰安婦、洋マダム、洋公主(ヤンコンジュ)などと呼ばれ、
韓国政府は彼女たちを登録制にし、強制的に性病検査を受けさせていたのです」

そして、“基地村”が本格化するのは、軍事クーデターによって朴正煕政権が樹立されてからだという。

「淪落行為等防止法を61年に制定する一方、特定地域のみ売春行為を容認し、104カ所の“赤線地帯”を設定しました。
そのほとんどが、ソウルや北朝鮮国境に隣接する京畿道の基地村でした。韓国政府からすれば、
北朝鮮に対峙するうえで駐韓米軍は最大の後ろ盾であり、おまけに外貨獲得のための必要不可欠な存在だった。
それゆえ、売春婦を“みなさんは愛国者です”などとおだて上げ、積極的に活用しました」(同)

当時、米軍慰安婦は2万人を数え、稼ぎ出す外貨は年間1000万ドル(現在の価値に換算すると150億円相当)にのぼった。

「70年代に入ると、米軍側は、韓国政府に対して、基地村の環境改善を強硬に要求するようになった。それに伴い、
朴正煕大統領は『基地村浄化委員会』を立ち上げました。浄化とは、主に性病対策のことで、女性たちの徹底検査に乗り出した。
国会で兪議員が公開したのは、その一環として朴正煕大統領が署名した文書だったのです」(同)

(続く)

URLリンク(zasshi.news.yahoo.co.jp)


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