【韓国】ウォン高止まらず 韓国当局が共同対応の可能性★3[11/20]at NEWS4PLUS
【韓国】ウォン高止まらず 韓国当局が共同対応の可能性★3[11/20] - 暇つぶし2ch93:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
13/11/21 01:20:07.91 kkMgdMdF
海があるんだから日本は朝鮮無視、英、仏、露、独、米の草刈場に任せ諸島防衛に注力すべきだった
半島防衛が満州から清国へドミノ防衛を強いられる訳↓ 

東京裁判のわずか2年後に朝鮮戦争が勃発した。

その途端にマッカーサーは、戦前の日本が心から怖れた 「北からの脅威」の本当の意味がわかったのである。
共産軍の侵攻を放置すれば朝鮮半島が取られる。 朝鮮半島が取られれば日本が危ない。
そこで彼は全力を挙げて、朝鮮半島を守ろうと決意して戦った。
結局、アメリカ側は太平洋戦争にも匹敵するほどの死者を出すことになった。
戦いはじめてマッカーサーがすぐ気づいたのは、 ソ連や中国がバックに控えた北朝鮮軍と戦う場合、
朝鮮半島だけを考えては勝てないということであった。
その弾薬や武器は中国やソ連から湯水のように補給されているのだから、
その補給線を絶たないかぎり、相手はけっして降伏しない。
勝つためには補給基地となっている満州を空襲しなければならない。
また、東シナ海に面した中国の港を海上封鎖しなければ ならないということは明白であった。
そこでマッカーサーは戦争中、 その考えをトルーマン大統領に進言したが、これを拒否されてしまった。
トルーマンが、ソ連と原爆戦争に突入することを恐れたからであった。 そのため、マッカーサーは
朝鮮半島を守りきることができず、 アメリカは北緯三八度線から北を敵に渡して、休戦協定を結ばざるをえなかった。
この体験を通じてマッカーサーは、戦前の日本軍がなぜ、あれほどまでに満州に執着を見せたのか、
また北の脅威とはどんなものなのかを明瞭に理解したのである。

ソ連が第2次大戦中の日本敵視政策のままであったのに対し、
アメリカは明らかに対日認識を変えていたのである。1949年12月に蒋介石は台湾に逃れ、
中国大陸は共産主義の手に落ちた。1950年6月には、北朝鮮の侵攻により朝鮮戦争が始まり、
10月には中国が加担して、アメリカを中心とする国連軍と激 しい戦闘を繰り広げた。

 この頃、アメリカでは、"We fought the wrong enemy."
(我々は戦う相手を間違えていた)という言葉が人口に膾炙していた。
日本と戦ったのは誤っていた、という認識である。
日本を大陸から駆逐したものの、アメリカは共産主義勢力に中国大陸を奪われ、
さらに朝鮮では自ら血を流して戦わなければならない羽目に追い込まれた。

「今日われわれは、日本人が韓満(朝鮮、満洲)地域で半世紀にわたって
直面し背負ってきた問題と責任を自ら背負 い込むことになったわけであります。
他人が背負っている時には、われわれが軽蔑していた、
この重荷に感じるわれわれの苦痛は、当然の罰であります。」

戦後、米国国務省の要職についたジョージ・ケナンはこう主 張して、
ルーズベルト政権がとった「ソ連と協力し、日独を叩 く」という政策を根本的に
批判した。日本が戦前果たしてきた共産主義の防波堤という役割を、日本を
駆逐したために、アメ リカが自ら担わなければならなくなった、という反省である。


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