13/10/24 13:34:39.34 Q6bVkHgI
併合前は学校も少なく馬鹿ばかりで、文盲から奪う言葉さえ無かったし、
言葉を取り戻しても、前の言葉が無いから置き換えできなかったようだなw
『韓国の中の日本を告発する』
(1964年 雑誌「新東亜」11月号より翻訳:外務省アジア局北東アジア課)
今我々の言葉だけでも取り戻した事は幸いであったと泰然として力む人があるかも知れない。
しかし、日本が引揚げた後生まれた韓国の10代の若い人たちに、今知っている日本語を言ってみろと聞くと、
誰でもためらわずに数十種類の他国語を誇らしげに述べるところは 誰でも驚かざるを得ない。
日本語を我々の言葉に替えてみろといわれても、順調に替えられる言葉がいくつあるか 憂慮される。
食べ物・衣類・化粧にも数え切れない程多くの日本語が使われている。「ワリバシ」「ドンブリ」「オデン」
「チャンポン」は、あまりにも一般化されている。台所で使用 される「スシ」「サシミ」「タマネギ」
「カマボコ」「アブラゲ」「ニンジン」「キャベツ」 「アジノモト」は、日本語そのままがかえって分り易い
状態である。
食べ物の名前は完全に日本名そのままである。一時はそれでも「すのご飯」とか「につけ白飯」「つまみもの」
等調理法を我々の言葉に直して呼ばれていたが、どうしたのかこの頃はそんな努力もしないで「オデン白飯」
「スシ」「ニギリ」「イナリ」「タイチリ」「スモノ」等に 還元してしまった。
事実日本語がまだ、我々の言葉に置き換えられず、そのまま痕跡として残っている。