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1893年、本間規助(1869~1919)という自称朝鮮専門家が釜山(プサン)に留まり、朝鮮を偵察しま
した。彼は偵察した内容を翌年4月‘二六新報’という日本新聞に連載しました。本間は朝鮮専門
家と偽わりながら朝鮮侵略のため情勢報告する浸透スパイだったわけです。本間は釜山の日本
人居留地に住みながら朝鮮人から「糞食らえ」と悪口を言われました。
それだけでなく租界(チョゲ)に住む日本人の多くは朝鮮人からそのような非難を受けました。1876
年、朝鮮と日本の間の江華島(カンファド)条約で釜山(1876)、本山(1879)、仁川(1880)が順に開港
しましたが、最も速かった釜山はすでに日本植民地に他なりませんでした。それでも釜山の朝鮮
民は‘倭奴’に対し二つの目を開いて悪口を言いまくったことでしょう。
釜山日本人の婦女子強姦
朝鮮人が‘倭奴’に一方的悪口を言ったのには理由があります。朝鮮前期、倭との交流のため、
釜山浦、チェポ、ヨンポなどを開港し二国間の交易が多くありました。朝鮮前期だけでも倭は朝鮮
に貢ぎ物を捧げなければなりませんでした。朝鮮が上国だったからでしょう。倭はこれに不満を抱
いて三浦(サンポ)倭乱(1510)を起こし、開港場閉鎖・撤退をむかえます。
その頃、釜山の倭奴が朝鮮人婦女子の強姦が発生したといいます。その後、朝鮮女性は釜山の
日本人区域には現れませんでした。強姦犯の町ですから。そこに出入りする婦女子には「倭奴、
糞食らえ!」と言い、居留地を出た日本人たちには「糞食らえ!」といいながら石まで投げました。
日本人をののしるなって?
本間が釜山租界に住んでいた頃、朝鮮女性らは相変らず租界の中に入りませんでした。ところが
‘彼らの陛下’の大婚式がある日、租界の中でも祝賀行事が開かれました。龍頭山(ヨンドゥサン)
で1000人余りが参加する行事でした。そのため植民地民同然の朝鮮人男女を出席させるべきで
したが、容易ではありませんでした。特に婦女子はですね。それで朝鮮観察使(?)の次のような
掲示が出ました。
「次に掲示するのは日本租界を我が国の女性が観光する時、むやみに悪口を言うのは、はなは
だ不当だ。絶対に互いに悪い話をするな」。そして翌日、もう一つの掲示が出ます。「次に掲示す
るのは日本人が出入りするところを我が国の老若男女がむやみにののしって、実際にもめごとが
起きたら、絶対にこれと共にするな」
本間の記述によれば朝鮮の民は日本人居留地の外でも悪口は基本で土と石も投げたそうです。
本間は‘(日本人朝鮮旅行者は)常に耐えがたい侮辱にあうことになる。従って、望むことは全国八
道に令を下し旅行客に対する悪行をやめさせ、善隣の道を講じるべきだ」と書きました。
実際にその後、日帝強制占領期間が始まり、そうなったということです。
‘小細工’で韓日間善隣?
(中略:>>2-5のあたり)
私たちの国民10人中7人「日本同盟国ではない」
この話をしたのは私たち国民10人中7人が日本を同盟国と考えないという調査結果のためです。
(後略:アンケートに関しては関連スレ参照)
チョン・ジョンヒ記者
ソース:国民日報クッキーニュース(韓国語) [チョン・ジョンヒのスモールトーク]日本が同盟国?"倭奴糞でも食べろ!"
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スレが立った時刻:2013/10/14(月) 23:40:43.28