13/09/27 15:21:56.24 Szp9bV7M
>>164
>大宇宙からミクロに視点がズームアップしていく
>それを脳内でやっていた訳だろう
それが李御寧に騙されたということなのだが。
それは李御寧の脳内だけの解釈だから。
「大海にむかひて一人 七八日 泣きなむとすと家を出でにき」
「大という字を百あまり 砂に書き 死ぬことをやめて帰り来れり」
なぜ「大宇宙からミクロに視点がズームアップしていく」ことになるのか??
作者の“心”を考えようとせず、物の対比(しかも「涙一滴」なんて言葉はでてこない)
で満足している人間に文学を論ずる資格はない。
ドナルド・キーンは坂西志保による次の英訳をもっとも優れた訳としているが、「大宇宙」
だの「ミクロ」だの言う君はどう思う?李御寧説だとこれは「もはや詩ではない」のだが。
On the white sandy shore of the small island,
Far in Eastern sea,
Weary of weeping,
I play with crabs.