13/09/07 20:45:52.92 TQ3gF2IY
からゆきさん(唐行きさん)とは、19世紀後半に、東アジア・東南アジアに渡って、娼婦として働いた日本人女性のこと。
長崎県島原半島・熊本県天草諸島出身の女性が多く、その海外渡航には斡旋業者(女衒)が介在していた。
「唐」は、ばくぜんと「外国」を指す言葉である。
からゆきさんとして海外に渡航した日本人女性の多くは、農村、漁村などの貧しい家庭の娘たちだった。
彼女たちを海外の娼館へと橋渡ししたのは嬪夫(ピンプ)などと呼ばれた斡旋業者、女衒たちである。
こうした女衒たちは貧しい農村などをまわって年頃の娘を探し、
海外で奉公させるなどといって、その親に現金を渡した。
女衒たちは彼女たちを売春業者に渡すことで手間賃を得た。
そうした手間賃を集めたり、投資を受けたりすることによって、
みずから海外で娼館の経営に乗り出す者もいた。
「娘子軍」[1]として喧伝され、明治末期にその最盛期をむかえたが、
国際政治における日本の国勢が盛んになるにつれて、彼女らの存在は「国家の恥」であるとして非難されるようになった。
1920年の廃娼令とともに海外における日本人娼館も廃止された。多くが日本に帰ったが、更生策もなく残留した人もいる。
1972年の山崎朋子『サンダカン八番娼館』の出版によって広く知られるようになり、以後、からゆきさんについてのルポルタージュや研究書が現れた。
からゆきさんの主な渡航先は、中国、香港、フィリピン、ボルネオ、タイ、インドネシアなどアジア各地である。
特に当時、アジア各国を殖民支配していた欧米の軍隊からの強い要望があった所へ多く派遣された。
また、さらに遠くシベリア、満州、ハワイ、北米(カリフォルニアなど)、アフリカ(ザンジバルなど)に渡った日本人女性の例もある。
20世紀後半、逆に日本に渡航し、ダンサー、歌手、ホステス、ストリッパーなどとして働いた外国人女性は「ジャパゆきさん」と類似した呼称で呼ばれた。