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>>233
『朝鮮における司法制度の近代化の足跡』友邦協会編より
元京城控訴院判事 山口真昌氏の1908年6月の証言
「道路は非常に狭く、しかも糞尿は至るところ道ばたに落ちているという有様でした。
井戸水は混濁していて、風呂に入れば茶色の湯で、かえって身体が汚れるような感じで、
飲料水は石油の空き缶一杯で何銭(当時のお金の単位)で買ってきて使用すると言う状態で
(要するに飲料水は買わなければならなかったと言うこと)、電灯は今だ一般の家庭には
普及しておらず、私たちが当時借家としていた家にはその設備(電灯)が無いためランプ
を使用しておりましたが、冬になると寒気が激しく、石油が凍って段々と光りが薄暗くなり、
仕事が出来ないほどでありました。」