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金仁謙『日東壮遊歌』(東洋文庫662・平凡社)
江戸時代の1764年(明和元年)に第11次朝鮮通信使として来日した金仁謙が書いた記録(原文はハングル)。
1月28日(京都)
「人々の富める様は 大坂には及ばないが
都の西から東までの距離は 三里に及ぶという
館舎は本能寺 五層の楼門の上には
十個余りの銅輪を施した相輪が 天高くそびえている
庭の水石も見事であり 竹やその他の木も趣がある
倭王の居所というから その贅沢ははかり難いところである
山の姿は雄壮 河は野をめぐって流れ
沃野千里を成しているが 惜しんで余りあることは
この豊かな金城湯池が 倭人の所有するところとなり
帝だ皇だと称し 子々孫々に伝えられていることである
この犬にも等しい(犬の陰茎のような)輩を 皆ことごとく掃討し
四百里六十州を 朝鮮の国土とし
朝鮮王の徳をもって 礼節の国にしたいものだ」
●1764年2月3日 名古屋
街の繁栄、美しさは大阪と同じだ。
凄い。
自然の美しさ、人口の多さ、土地の豊かさ、家屋の贅沢さ…この旅で最高だ。
中原(中国の中心地)にも無い風景だ。
朝鮮の都も立派だが、名古屋と比べると、とても寂しい。
人々の美しさも最高だ。
特に女性が美しい。
美しすぎる。
あれが人間だろうか?
「楊貴妃が最高の美人だ」と言われているが、名古屋の女性と比べれば、美しさを失うだろう。
(帰路にて)
名古屋の美人が道を歩く我々を見ている。
我々の一員は、名古屋の美人を一人も見逃さないように、頭を左右に必死に動かしている。
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名古屋の美人は忘れられないの