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◆田原総一朗氏「ますます迷走する日韓関係につける薬なし」
いまだぎくしゃくとしたままの中国や韓国との関係性。
ジャーナリストの田原総一朗氏は解決の糸口が見えない、この東アジア近隣諸国との
外交問題に頭を抱える。
* * *
どうも、私たち日本人は、お隣の中国や韓国とつき合うのが苦手中の苦手である。
歴史的に苦手なのだ。
例えば、昭和の時代に日本が最も長く戦争をした相手国は中国だが、
8年間という長い期間、なぜ中国と戦争しなければならなかったのか、さっぱり分からない。
さらに、日本は1910年に韓国を併合した。つまり植民地にしたわけだ。
韓国に対しては、どんな理屈があったにせよ申し訳ないとしか言いようがない。
だが、率直に言って、韓国を併合して、いったい、日本にとってどのようなメリットがあったのだろうか。
日本が併合しなければ、ロシアの支配下となった?あるいは、中国の支配下となった?
しかし、韓国を独立させ続けるためならば、併合以外にも方策があったのではないか。
例えば、韓国人から最も嫌われている日本人は伊藤博文だが、彼は韓国併合には反対だったのである。
日本人は韓国とのつき合いが下手だと痛切に感じたのは、特に1970年代だ。
私は77年に韓国を取材して、月刊文藝春秋に「韓国―黒い癒着からの離陸(テイクオフ)」という
ルポルタージュを書いた。
当時、日本のほとんどの新聞もテレビも、「北朝鮮こそが地上の楽園であり、韓国は地上の地獄だ」と
報じていた。
当時、朴正熙大統領下で、政治はお世辞にも民主化しているとは言えなかったが、
経済はすさまじい勢いで発展していて、近い将来、日本にとっても怖い存在になりそうだった。
そこでそのことを書いたら、多くのメディアでコテンパンに批判された。
メディアは「北朝鮮が地上の楽園だ」と、大誤解をしていたのだ。
私は、韓国で何人もの政治家や経営者たちと親しくなり、やっと日韓関係はうまくいくのではないかと
自信を持った。
現に中曽根康弘、宮沢喜一、小渕恵三、そして森喜朗などの歴代首相は韓国と友好的であった。
だが、なぜか李明博大統領の2011年あたりから、韓国は猛然と抗日的になった。
実は私は、大統領になる直前の李氏と会談したことがある。
彼は、私に「韓日が力を合わせて、新しい未来をつくろう」と強調したのである。
ところが、その李大統領が12年の8月に、わざわざ日本を挑発するように竹島に上陸した。
同じ年の5月に、戦時中に徴用された韓国人労働者たちに、新日鉄住金や三菱重工などは
賠償金を払え、という意見が盛り上がった。
そして、今年の7月に韓国の高裁が賠償を払えという判決を下した。
しかし、徴用された労働者の賠償請求権問題は、65年の日韓基本条約ですべて決着がついている。
そういう問題をすべて決着させるために、日本政府は「経済協力」という表現で5億ドルを
韓国に支払ったのだ。
もっとも、その後、盧武鉉大統領下の03年に、賠償金問題が持ち出されたが、
このときは韓国政府が支払うという結論となったはずだ。
それが、今年の7月になり、またまた新日鉄住金、三菱重工などに賠償金を支払え
ということになったのである。私の知り合いの韓国の政治学者たちは困惑している。
あるいは韓国の国内事情で、大統領も抗日的にならざるを得ないのかもしれないが、
国と国との条約を曲げて妥協するわけにはいかない。といって、韓国とは友好的につき合いたい。
いったいどうすればよいのだろうか。
週刊朝日 2013年9月6日号
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