13/08/21 16:42:57.62 /1e/3Byy
>>418
よっぽどみじめな人生で、他をディスりたいんだな
少なくとも 日本がした良い事ぐらい肯定しろな
李朝朝鮮の飢餓地獄、しかし、そんなときでさえ、朝鮮国王は、中国や
日本からの食料買入れを許すよりも、むしろ国民の半数が死んでいくの
を放置しておく道を選んだ。[1,p64]
朝鮮半島が急激な人口増加を迎えるのは、20世紀に入ってからである。
1906年(明治39年)からの20年間で、980万人から、1,866万人と倍増した。
さらに1938年には、2,400万人となった。日韓併合時代である。[1,p29]
森林は緑のダムである。森林がなくなれば、降れば洪水、降らねば
干ばつとなって、農業生産は崩壊する。治水の前に治山が必要というのが、
寺内初代総督の方針であった。朝鮮総督府は1911年からの30年間で、
5億9千万本の植林を行った。朝鮮全人口の一人あたり約25本という
膨大な数である。[1,p114]
これらの結果、水田開発が進み、明治43年の84万町歩が、昭和3年
ごろには162万町歩と倍増した。[1,p108]
また従来、朝鮮農民が見捨てていたような不毛の地に入植して、開墾する
日系移民も約3,800戸あった。これらの移住農民が、米の改良品種、新農法を
持ち込み、養豚、養鶏、養蚕などの多角経営を図り、また厳冬にも家族ぐるみで
副業に励む姿を見せた。日系農家の自力更正が、朝鮮農民の意識改革に
大きな役割を果たしたのである。[1,p153]
宇垣総督時代の総督府予算は昭和5年で、約2億円の規模であった。
それに対し、朝鮮内部の税収は5千万円程度。日本の政府予算(すなわち
日本国民の税金)から、毎年千数百万円から2千万円の規模の補填が
なされた。この予算獲得のため、総督府の関係者が帝国議会や大蔵省の
説得に奔走したというから、官僚の世界は今も昔も変わりない。それでも
足りない分は、日本の金融市場から集めた公債によってまかなわれた。[1,p142]
1 歪められた朝鮮総督府、黄文雄、光文社、H10