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▲韓半島分割の歴史、イ・ワンボム著、韓国学中央研究員出版・4万8000ウォン
‘韓半島分割’といえば6・25韓国動乱(朝鮮戦争)を連想するが<韓半島分割の歴史>を読めば韓
半島分割は長い間の淵源と真実を秘めている。壬辰倭乱当時、明と日本が朝鮮を分割しようとし
たし、20世紀始めの露日戦争の時もそういう試みがあった。私たちがその事実をよく知らない理
由は、著者が冒頭に書いた様に「(分断が)実現しなかった」とか「その研究が活性化しなかった」た
めだ。
この本は壬辰倭乱から朝鮮戦争まで外勢がどんな理由で韓半島を占領、分割しようとしたのか、
その起源を追跡し韓半島の未来ビジョンを提示する。
韓半島をめぐる外勢の分割議論の一つの軸は中国とロシア、過去のソ連に代表される‘大陸勢力’
であり、もう一つの軸は日本やアメリカなど‘海洋勢力’だ。壬辰倭乱当時、明と日本は数回の興
和会談を通して朝鮮分割を策動した。著者が壬辰倭乱を深く掘り下げる理由は「強大国が私たち
の領土、韓半島分割を駆け引きした最初の事例」だからだ。明は様々な面で煩わしい朝鮮をこの
際、合併しようとし、日本は「朝鮮領土を奪取するための戦争」を行って新しい土地を得ると同時に
内部の混乱を鎮めようとした。豊臣秀吉は征明が現実的に不可能という事実を認知し、全羅道
(チョルラド)と慶尚道(キョンサンド)など朝鮮の4道を必ず確保すると飛びかかった。
壬辰倭乱に続き、韓半島分割議論が起きたのは19世紀末と20世紀始めで、大陸勢力と海洋勢
力の衝突は鋭かった。この時、海洋勢力日本は大陸勢力の中国とロシアを相次いで破り韓半島
を手中に入れた。一連の過程の中で大韓帝国は「日本だけではなく、ロシアからも独立を維持し
なければならないという発想で中立化を議論」し、高宗(コジョン)は密使を派遣して米国など列強
の意志を打診した。一方、ロシアは1903年、日本に‘39度線案’を提案したが日本の拒絶で実現
しなかった。
<韓半島分割の歴史>が最も紙面を多く割いた部分はやはり朝鮮戦争前後で西欧列強の強圧に
よって強行された38度線画定の真実と実質的な韓半島の分割だ。著者は38度線画定の真実を
暴くためにはまず「1945年8月15日、光復直前の歴史的状況を解明すること」が主要課題と指摘
する。「外勢によって韓半島分割が決定されたのに加え、韓国独立運動勢力の共闘が成功せず、
それによって韓半島分断の対内外的構造の原形がこの時期にほとんど決定」されたためだ。
米国は光復前から‘ソ連参戦前の終戦’を求め韓半島と日本に対する占領作戦を展開した。ソ連
は「ロシアが1904~1905年、露日戦争で敗北した痛恨の経験」と「韓国がどちらか一つの国の一
方的な支配に属することを防止し勢力均衡を図る政策目標」を持ち、米国の独走を座視できなか
った。結局1945年7月と8月に開かれたポツダム会談で38度線が画定され、その分断のくびき
は今も続いている。もちろん38度線画定で事態が完結したのではない。朝鮮戦争当時、国連軍
は仁川(インチョン)上陸作戦等を通して38度線を越え北進したし、中国軍は人海戦術で38度線
を再侵犯した。
それではなぜ海洋勢力と大陸勢力は絶えず韓半島の分割をたくらんだのだろうか。その解答は過
去の歴史にあるが、もしかしたら韓半島の明日にも続いている。「海洋勢力の立場では大陸進出
の橋頭堡、大陸勢力の立場では海洋への通路」が正に韓半島だ。著者は次のような言葉で韓半
島の未来像を提示する。「大陸性と海洋性を両方持っているので、これをうまく利用すれば大陸と
海洋の緩衝国として独立を保証されるはずだ。韓半島周辺の大陸国と海洋国どちらとも友好的関
係を設定できれば平和を謳歌できるだろう。」
<韓半島分割の歴史>は韓半島分割に対する歴史的展望を通じてまだ終わっていない戦争中のこ
の土地の現実と明日を分析する点で意味がある本だ。著者は<朝鮮王朝実録>はもちろん19世紀
と20世紀始め日本とロシアの外交文書、朝鮮戦争当時の米国の国立文書記録管理庁の機密文
書などを精査して列強の韓半島分割野心を過不足無く伝える。
歴史的事実が正しいか正しくないかを評価するに先立ち、客観的事実を見せることによって歴史
的判断の基準と思考の枠組みを提示する点で興味深い。
チャン・ドンソク出版評論家
ソース:ハンギョレ新聞(韓国語) 外勢の絶え間ない韓半島分割画策
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