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>>2のつづき
●人間は、巨人よりもっと偉大な存在
ある映画評論家は、ケーブルテレビ番組で『進撃の巨人』を称賛し、「政治的に解釈せずに、
純粋な漫画として、作品自体を楽しむべきだ」と主張。また、大衆文化評論家たちは、「圧倒的な
巨人の存在とちっぽけな人間の死を見ると、人間の尊厳を疑うようになる。その気持ち悪さは
我々の不安と恐怖に似ている」「若者たちがこの作品に感情を移入する理由は、巨人を不安な未来に
見立て、自分たちも戦おうとする気持ちになるから」など、作品に対するさまざまな意見を
出しながら人気の理由を探っている。
「巨人の正体についてのミステリアスな設定こそが、この作品の一番の人気要素であり、巨人は
何にでも例えられるカオスな存在だからこそ、この作品が大きな力を持つ」という分析もある。
確かに『進撃の巨人』の世界の中で生きる人類は、閉塞感に苦しみ、絶望的かのようにも映る。
それは今の日本と韓国が置かれた政治・経済・社会的状況と似ており、現実の問題が投影されて
いると言えなくもない。
ただ、個人的に共感を覚え、日本のファンたちにお伝えしたいのは、文化評論家として韓国で
有名なムンガン・ヒョンジュン氏の分析と提言である。
「人間は巨人になれるけど、意志のない巨人は巨人以上にはなれない。だったら、人間は
巨人よりもっと偉大な存在ではないか」
一見すると謎かけのように思える言葉だが、『進撃の巨人』には誰もが忘れがちな“人間の
尊厳”が隠れ潜んでいる。
日本人や韓国人に限らず、誰もが一度ぐらいは蟻を指でブチュッとつぶした経験があると思う。
その瞬間、蟻にとっては人間が巨人であり、理解不能な存在だったはずだ。『進撃の巨人』を
見ていると、そんな哲学的なことまで考えてしまうのは、韓国人だけではあるまい。
外の世界に対する好奇心と強い意志を持つ主人公・エレンの生き様は、人間として生まれた
からには家畜とは違う何かを、すなわち自分なりの革命をなすべきだと言っているようでもある。
もしかすると、その静かだが強烈なテーマ性こそが、『進撃の巨人』が日本はおろか韓国でも
支持される理由なのかもしれない。
まだまだ先が長い『進撃の巨人』。展開によっては韓国での評価は変わるかもしれないが、
とりあえず今は日韓両国の楽しめる作品が誕生したことを素直に喜びながら、その行く末を見守っていきたい。
(文=李ハナ)