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上海天長節爆弾事件
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午前10時始まった式典は、午前11時40分ごろ天長節を祝賀するため、
21発の礼砲が発射され、海軍軍楽隊の演奏で君が代が斉唱された。
当時国歌は2回斉唱される慣習であったが、2度目の「さざれ石の」の所で、
尹が水筒の形をしたものを白川大将の足元に、弁当の形をしたものを
上海日本人居留民団行政委員長で医師の河端貞次の足元に投げつけた。
その直後に爆弾は炸裂し、居並ぶ日本側要人がなぎ倒された。
この爆発で、河端貞次が即死、第9師団長植田謙吉中将・第3艦隊司令長官
野村吉三郎海軍中将・在上海公使重光葵・在上海総領事村井倉松・上海
日本人居留民団書記長友野盛が重傷を負っている。重光公使は右脚を失い、
野村中将は隻眼となった。白川大将は5月26日に死亡した。
犯人の尹は、その場で「大韓独立万歳!」と叫んだ後に自殺を図ろうとした所を
検挙され、軍法会議を経て12月19日午前7時に金沢刑務所で銃殺刑となった。