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アジアと向き合う:戦後68年のニッポン/3 「嫌韓」に共感した自分、客観視
◇「在日」葛藤乗り越え
韓流ショップが並ぶ日曜午後のコリアタウン。6月16日、東京・新大久保で
在日コリアン排斥を訴えるヘイトスピーチデモが始まった。在日3世の李永皓(リヨンホ)さん(25)は、
プラカードを掲げ、過激な言葉を繰り返すデモ隊に抗議した。
あのころは、在日でありながらネット右翼に共感していた。もしかすると、今ごろ向こう側にいたかもしれない。
「朝鮮人をたたき出せ」。そう叫ぶデモ隊の姿が、かつての自分に重なった。
在日2世の父と韓国籍を取得した日本人の母の間に生まれた。父の勤務先は韓国企業。
生後すぐ横浜からソウルへ転居し、小学3年で大阪に引っ越すまで韓国で暮らした。
「日韓は一つの国」。幼い頃はそう思っていた。顧問とそりが合わず、高校のサッカー部を2年でやめてしまった。
「あいつは韓国人だ」。人の目が気になった。陰口を言われている気がした。
大学に入っても、授業に出席できなかった。気力が湧かず、山手線に乗ったまま都心を回って帰った。
韓国を否定的に描いたマンガ「嫌韓流」を読み、韓国への反発をあおるサイトを見た。
韓国や在日の「真実」を次々に見つけた気がした。
「在日だけど嫌韓に共感する」。ネットの掲示板に書き込んだ。「本当に在日か」「出ていけ」。
非難が集まった。「話を聞きたい」という反応もあった。自分を認めてくれているようで、うれしかった。
後に「在日特権を許さない市民の会」(在特会)の幹部となる在日3世のブログを読み、
在日に厳しい内容に共感した。別の在特会幹部が唱えた「在日全員送還論」にも賛同した。
自分を守るために、ネットで韓国と在日を中傷し続けた。
小学生のころ、サッカー韓国代表が負けると級友に「韓国は弱い、弱い」とからかわれた。
中学で日本の首相を批判すると「韓国に帰れ」と言われた。いじめられたと思っても、分かってもらえない。
「韓国人の代表として見られるからしっかり生きろ」。母の言葉が重荷だった。
大学2年で転機が訪れた。友人から国際交流サークルに誘われ、
韓国好きの日本人の先輩や留学生と知り合った。韓国語で冗談を言い合った。韓国への嫌悪感が薄らいでいった。
在日本大韓民国民団が募る母国訪問事業に参加し、同世代の在日と出会った。「差別され、あか抜けない」。
勝手に抱いていたイメージとはかけ離れた若者ばかりだった。歌手や落語家として夢を追う若者もいた。
やっと自分に素直になれた。在日外国人を研究する友人の聞き取りに、打ち明けた。「自分のコミュニティーがほしかった」
6月28日夜、東京都中央区。若者が集うトークイベントで、李さんはマイクを握りしめた。
「国籍に縛られる必要なんてない」。
六本木で半世紀以上、診療を続ける無国籍医師の業績を紹介した。
在日である自分を受け入れられずに悩み、もがいてきた。追い詰められた末、
ネットの情報を疑いもせず信じてしまった。自分と向き合うことができて、やっと分かった。
この春、東京の大学を卒業した。秋にはイスラエルに留学する。
移民教育や、ユダヤ人と在日コリアンの比較研究をするつもりだ。葛藤を乗り越え、歩み始める。
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