【台湾】「日本を想い続ける台湾人」~元祖・台湾哈日(日本大好き)族=哈日杏子[07/19]at NEWS4PLUS
【台湾】「日本を想い続ける台湾人」~元祖・台湾哈日(日本大好き)族=哈日杏子[07/19] - 暇つぶし2ch2:HONEY MILKφ ★
13/07/19 17:44:47.19
>>1のつづき

(写真)
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▲ 「哈日」現象の火付け役となった筆者の4コマ漫画『早安日本(おはよう日本)』
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■ 私が「哈日」になった理由
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
台湾と日本のことを語る上で、政治を抜きにして語ることはできません。1895年から1945年までの50年間、
日本は台湾を統治しました。台湾各地には、今でも当時の日本人が建てた建築物や日本人の生活の
痕跡などがたくさん残っています。台湾人が日本に抱く感情は実に複雑です。当時の台湾人は日本語
学習を強制され、日本人が定めた制度と生活モデルを受容させられました。欧米人にとっての日本の
イメージは、刺し身、忍者、相撲に侍、富士山などが多いのでしょうが、(日本と台湾の歴史的経緯により)
台湾人はさらに深いところまで読み取ります。

また、「哈日」が台湾で起きた理由を正しく分析するためには、台湾に住む人々の出自から考えなくては
ならないでしょう。台湾で生まれ育った本省人、(中国の国共内戦での敗北後に)中国大陸から国民党軍
と共に来台した外省人、台湾の先住民、(本省人や外省人の中で客家[はっか]語を母語とする)客家族。
それぞれ日本への見方は違います。愛もあれば憎しみもあるでしょう。

(本省人の)私の祖父は1912年生まれで、日本統治時代を経験しました。私が小さかった頃、彼はよく
私に日本語で話しかけ、日本の歌を歌って聞かせてくれました。冬は決まって腹巻きをして、普段は下駄
を履いて、外出の時は必ず紳士帽をかぶり、外見は日本人そのものでした。彼は日本が憎かったので
しょうか。察するにそんなことはなかったでしょう。彼はあの時代のことをとても懐かしんでいました。大人
になって「哈日族」となった私は、毎回彼に日本に行くことを伝えると、日本のどこそこの物を買ってくる
ように頼まれました。日本の薬、足袋、腹巻き、お菓子などが入った小包が届くと、毎回電話で長々と
私にお礼と喜びを伝えました。晩年に病気になるまで、私とは日本語でやり取りをしていました。日本は
彼にとって、美しく、そして消すことができない、もう一つの「過去」だったのでしょう。

では、私自身はなぜ「哈日」となったのでしょうか。私は小さい頃から絵を描くのが好きで、将来は漫画家
になろうと思い、日本の漫画に魅力を感じていました。1987年以前の台湾は戒厳令下の緊張した時期に
あり、日本の情報や品物は民間の闇ルート、つまり海賊版や個人輸入として、静かに広まっていました。
日本の品物は台湾のたくさんのショッピングモールで購入できました。街中の本屋さんには日本の漫画
があふれ、幼い頃の私と弟は、『ドラえもん』や『ウルトラマン』、『おそ松くん』などは、すべて台湾人の
作品だと思っていたくらいでした。節約してためたお小遣いを持って、台北・西門町の「万年大楼」で日本
のアイドルのポスターやブロマイド、カセットテープ(当然海賊版です)と日本製の雑誌を買って放課後に
楽しむというのが、私たちの最高の娯楽でした。

>>3くらいにつづく


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