13/07/19 11:09:09.47 wgIpE30z
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―「火垂るの墓」を見るたびに泣いてしまうという職場の仲間も多いのですが、キャラクターデザイン・作画監督をされたときのことなどをお聞かせください。
近藤 こんなことはあってはいけないと思いながら、「火垂るの墓」を描いているうちにだんだん背筋が寒くなるというか、鳥肌が立つみたいな感じがしながら描いていました。
戦争をテーマにきちんとした仕事ができたらいいなと思っていたので、「火垂るの墓」をやらせてもらって良かったと思っています。
できあがってから、高畑さんのところに、韓国の方がみえて、戦後40年もたってまだ被害者意識で映画を作っていていいんだろうかと言われました。侵略戦争の加害責任を
問うようなこともやらなくちゃいけないという話は前からあって、じつは、高畑さんが「おもひでぽろぽろ」の準備をする前に、「国境」というタイトルの作品を手がけようとしていた
んです。満州に行ったきり行方不明になった兄を主人公が探しにいき、解放戦線の女性と出会った主人公が、日本という国が何をしているのか疑問を持ち始めるという内容
の話だったんです。その話も具体的に進み始めたんですけど、天安門事件などの影響で企画が流れたんです。いま、そういう作品も大切だと思います。
―そうですね。
近藤 最近は、日本の現代史を否定的に教えるのはよくないなどという人がいて、学校の先生なんかも影響を受けて、従軍慰安婦はいなかったみたいな話になり、非常に
気になります。
広島で平和の問題を教えてる人が言っていた話ですけど、広島にいつ原爆が落ちたか知らない子どもが増えているというんですね。
「火垂るの墓」を作るとき、たった40年前のことなのにわからないことがいっぱいでした。たとえば、昼間の焼夷弾というのを誰も覚えている人がいなくて、結局よくわからな
かったんです。
そんなむずかしさはあると思いますが、子どもたちに戦争の事実を伝える努力をしなければ、風化する一方だと思います。ちゃんと戦争の事実を伝えていかなればいけな
いと思います。