13/07/13 11:26:33.80
>>1の続き
カン、ハルモニは「一日に何時間働いたのか、何人の男を相手にしたのか覚えていない。終わり
がなかった」と歯ぎしりした。引き続き「ある日、直腸出血でお手洗いが長くなったところ、軍人1人
が入ってきて早くしろと後頭部を殴った。その傷が今も残っている」と話した。
戦争が終わった後もカン、ハルモニは羞恥心のために家に帰ることができず、両親に会うことは
永遠にできなくなった。中国でずっと暮らしたハルモニは結婚して子供を二人産み、2000年に韓国
に帰ってくることができた。同紙は日本人の抗議騒動がグレンデール市会議員らを非常に驚かせ
たが、少女像建設の意志を防ぐことはできなかったと伝えた。
フランク・クィンテロ市会議員はこの日の公聴会で日系住民たちの抗議に「14才の少女が韓国の
自分の家を出て日本軍に入り、自発的に身体を売るという話を信じられますか?あなた方は歴史
を習わなければならない」と訓戒もした。グレンデール市は慰安婦被害ハルモニらを招請し、来る
30日、平和の少女像除幕式を挙行する。アラ・ナジャリアン市会議員は「これは特定国家を懲罰
するのではない。人間が人間に行った反倫理行為を反省して記念するものだ」と強調した。
以上