【論説】古谷経衡「嫌韓の踏み絵と『ネット右翼の逆襲』~冷戦崩壊で日本の左右は逆転、なぜ左右認定を韓国風情で決めるのか」[07/01]at NEWS4PLUS
【論説】古谷経衡「嫌韓の踏み絵と『ネット右翼の逆襲』~冷戦崩壊で日本の左右は逆転、なぜ左右認定を韓国風情で決めるのか」[07/01] - 暇つぶし2ch1:帰って来た仕事コナカッタ元声優 φ ★
13/07/01 03:01:33.17
ここ数年のネット世論の傾向というものを総覧すると、「嫌韓」が踏み絵に使われている感がある。
つまり、大雑把に言えば「韓国(朝鮮)が好きか嫌いか」を軸として左と右が分類されている。
韓国に融和的なのが左、批判的かつ嫌悪を示すものが右、という具合である。

この中で殊更ネット上で積極的に韓国に対しての嫌悪や敵愾心を示すものを或いは「ネット右翼」と呼んだりする。
但しこの場合「ネット右翼」はそれを否定的に扱う文脈の中で登場し、一方肯定的な文脈の中では
「ネット右翼と呼ぶな、保守と呼べ」という塩梅になる。事情を知らない人間には誠にわかりにくいが、
乱暴に言うと「左から観た嫌韓」が「ネット右翼」であり、「右から観た嫌韓」が「保守」という倒錯した状況に陥っている。

さらに事態を複雑にしているのは、「右から観た嫌韓」の当事者たちによると、その言動が穏便なものこそが「保守」であり、
下品で乱暴なものが「ネット右翼」である、というここで更に二分化が進んでいる。
つまり「ネット右翼」を空疎なレッテル貼りだとしながらも、他方では「ネット右翼」の存在を是認しており、
その代表格が「在特会」(在日特権を許さない市民の会)だというのである。

「我々は在特会と一緒ではない。在特会のようなネット右翼と我々保守を一緒くたにするな」
というのが、概ね「保守」を自認する人たちの多数派を占めている。
私の周りの意見もだいたいこの様なニュアンスのものが圧倒的である。

しかし、「在特会」と「保守」を区別するものが思想ではなくその言動の濃淡である、
という分類方法はその文脈を共有する「保守」の側の皮膚感覚に依拠しており、
つまりよく事情を知らないものが見ればそれらは「嫌韓」という共通項が存在するので区別することが出来ず、
だから例えば有田芳生や香山リカやその一派などからすると「保守」もひっくるめて「ネット右翼」と括ってしまうのである。

ここで「保守」側は、言動の濃淡を以って彼らへの反論とする(つまり我々は上品なので在特会とは違うのだ―云々)
を常に言いがちであるが、そもそも彼らに「嫌韓」の濃淡を見極める審美眼は無く、
彼らが問題としているのは言動の濃淡ではなく「嫌韓」そのものなので、
いくらその濃淡で自己正当化を図っても「ネット右翼」のレッテルは止むことはない。「保守」側は、抗弁の仕方を根本的に間違っているのである。

この問題に関するより深い考察は、私がさる4月26日に刊行した『ネット右翼の逆襲 嫌韓思想と新保守論』(総和社)
により詳しいが、これは読者の方に是非是非購読していただくとして(笑)、
そもそもネット世論に蔓延(はびこ)る「嫌韓の踏み絵」で左右を分ける最初の分類方法が異常だ、ということを指摘せねばならない。

「嫌韓」を踏み絵にして左右をあぶり出す、という手法を好んで用いる
人々の多くは(それは私の経験上「保守」を自称する人々に多い)、
例えばある人物が「韓流ドラマが好きだ」と言っただけで「ア、コイツハ、サヨクダ」と分類する。

その他にどんなに的確な論評をしていようと、その一言だけで「コイツハ、リベラルダ」などという分類に進む。
例えば私が韓国を旅行して「韓国人は皆親切だった」という
当たり前の旅行の感想(事実そうであったからに過ぎない)を述べただけで韓国に対し
「融和的」であると看做し「コイツハ保守デハナイ」という分類に進むのである。

繰り返すように、なぜこういう分類が存在しているのかといえば、
それは取りも直さず「嫌韓」が左右を別ける「踏み絵」として所謂「保守」の側に充分機能しているからに他ならないからだ。
「嫌韓」の有無こそ、左右を分類する最も簡単で即効性のある正しく「踏み絵」として存在していることを否定できる論者はどれだけ居るだろうか。
しかし、「嫌韓」を踏み絵として使っている人々は恐らく「嫌韓」の歴史的文脈を全く理解していないように思える。換言すればほとんど無知に近い。

URLリンク(real-japan.org)「嫌韓」の踏み絵と『ネット右翼の逆襲』/


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