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▲延世大最高経営者コース紙上中継(14)私たちの歴史と科学
中国で初めて韓半島攻撃した隋…高句麗と3度戦争し全部惨敗…唐も高句麗侵攻失敗、三国時
代日食観測記録…科学技術中国に先立ち…地動説も朝鮮時代に登場、朝鮮'実験・観測'不足の
せい…西洋に200年ほど遅れ…'科学強国'潜在力は充分
「外国の学者は韓国の人だけ知らないことが三種類あるといいます。一番目は‘韓国の人は自分
たちがどれほど良い暮らしをしているか知らない’です。今、電力不足だからといって明かりを消し
て生活する人はいません。二番目は‘韓国人だけがどれほど危険なところに暮らしているのか知
らない’というのです。北朝鮮は核実験までし、中国と日本という強大国をすぐに隣にあるのに、の
んきだということでしょう。最後は‘韓国人だけ中国と日本がどれほどすごい国か知らない’です。
両国とも世界でドルを最も多く持っています。人口も多くて土地も大きいです。それでも私たちは彼
らを難しい相手とは考えません。」
「私たちの歴史と科学」講義を引き受けたホ・ソンド、ソウル大中国語中国文学科教授は「韓国人
が中国や日本を甘く見る理由を分析してみよう」としてこのように講義を始めた。
○300万人で4000万人に対抗した高句麗
中国が初めて韓半島を攻撃したのは隋の初代皇帝、文帝(在位581~604)時代だ。当時、中国を
統一した隋は高句麗に‘君臣の礼’をとるよう要求したが拒絶された。当時、突厥など他の少数民
族は長安まできて記念品を捧げた。高句麗の嬰陽王がこれを拒否するとすぐに文帝は今の北京
地域の涿郡(たくぐん)までくれば自分が行くとしたが、高句麗王はこれも断り先制攻撃に出た。
当時の人口は4000万人、高句麗は300万人程度だった。嬰陽王は新義州西側で隋の兵たん基
地があった遼西地方を攻略し戦争物資を全て燃やした。「隋は30万の軍隊を率いて高句麗を攻
撃したが大敗して帰りました。中国の歴史記録にはなぜ負けたのか内容があまりありません。た
だし、病気がはやった、自然災害のためとあるだけです。私は高句麗がよく戦って勝ったと考えま
す。300万人の高句麗が4000万人の隋に先に戦いを挑んだということは、それだけ自信があった
のです。文帝は死に臨んで息子、煬帝に高句麗は攻撃するなと言ったといいます。」
しかし、煬帝は611年、113万大軍に兵たん人材100万人など213万人を率いて高句麗を攻撃す
るが、大敗して2700人だけ生きて帰った。煬帝は臣下の反対を押し切って613年に再び高句麗戦
争を起こした。30万人を動員したがやはり惨敗した。隋は無理な高句麗遠征のせいで結局滅亡する。
「隋に続き中国を統一した唐の2代皇帝、太宗も臣下の反対をはね除けて高句麗侵攻に出ました
が、やはり失敗します。こういう経験が積もって私たち民族が中国を恐れなくなったと考えます。日
本が起こした壬辰倭乱も結局勝利で終わりました。私がこの内容で講義を始めたのは、私たちは
私たち自らをとても軽視しているのではないかと思うからです。
次は科学の部分を調べます。」
(後略:見出しのみ)
○中国より正確だった日食の記録
○1697年に地動説登場
○‘実験と観測’が不足した朝鮮の科学
カン・ヒョンウ記者
ソース:韓国経済(韓国語) 韓国人が隣強大国中国・日本を甘く見る理由は
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