【韓国】救国の英雄・李舜臣の「乱中日記」、世界記録遺産に登載~日帝時代にウェノム(倭奴)らが奪おうとしたが奪われなかった[06/19]at NEWS4PLUS
【韓国】救国の英雄・李舜臣の「乱中日記」、世界記録遺産に登載~日帝時代にウェノム(倭奴)らが奪おうとしたが奪われなかった[06/19] - 暇つぶし2ch1:ピアノを弾く大酋長φ ★
13/06/21 00:24:48.81
[大田(テジョン)]イ・スンシン'乱中日記'世界記録遺産登載

<アンカー>
忠武公・李舜臣(イ・スンシン)将軍が残した壬辰倭乱の記録物、乱中日記をよくご存じでしょう? 牙山(アサン)・顕忠祠
(ヒョンチュンサ)に原本が保管されているのですが、この乱中日記がユネスコ世界記録遺産に登載されました。

イ・インボム記者です。

<記者>
13隻の船で133隻の倭軍と対抗した1597年、丁酉年の鳴梁(ミョンニャン)海戦。

李舜臣将軍は兵士たちの前で「死ぬことを覚悟して戦えば生きるもので、生きようとすれば死ぬだろう。」という有名な
言葉を残します。

将軍の抽象的な一言で倭軍は皆殺しになり、その記録が乱中日記に入っています。

救国の英雄・李舜臣が残した乱中日記がユネスコ世界記録遺産に登載されました。

戦争中に海軍最高指揮官が直接毎日の戦闘状況と個人的な所感を残した、由来を見つけるのが難しい記録物である
ことを世界が評価したのです。

[イム・ウォンビン/順天郷(スンチョンヒャン)大・李舜臣研究所長: 今回ユネスコに登載されたことにより、多分われらが
の李舜臣将軍が全世界的に偉大な指導者として浮上するのにそれなりに大きく寄与をするのではないだろうか…。]

国宝に指定された乱中日記は牙山・顕忠祠に原本が保管されています。

壬辰乱が勃発した1592年1月から1598年11月に将軍が露梁(ノリャン)海戦で戦死する直前まで、7年間の記録が7冊
の本として残っています。

子孫らが400年間余り保管したものを顕忠祠建設を契機に国家に寄贈したものです。

[イ・ジョンチョン/徳寿李氏忠武公派宗会長:日帝時代にウェノム(倭奴)らが奪おうと努力をしたが、私どもは奪われ
ませんでした。そうして見ると今日世界遺産に登載されたので本当にうれしいです。]

子孫らは乱中日記の世界記録遺産登載を祝う告由祭を翌月1日、顕忠祠で挙げる予定です。

ソース:SBS(韓国語) 最終編集:2013-06-19 17:42
URLリンク(news.sbs.co.kr)


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