13/05/11 23:47:52.17
4月27日、クレオ大阪北で『知花昌一講演会/4・28沖縄デーの歴史と意味~オスプレイ配備を許さない~』
がおこなわれた(主催:「4・27」実行委)。「原発あかん・橋下いらん・弾圧やめて!」をサブタイトルに掲げるこの集会は、今回で3回目。
「主権回復の日」記念式典を翌日に控えた同集会は、「4・28」の意味に焦点が当てられた。
①沖縄からの視点で語った知花昌一さん(元読谷村議、現真宗大谷派僧侶)の講演と、
②日本の敗戦直後に権利を剥奪されていった在日朝鮮人の視点から水野直樹さん(京都大学人文研教授)の講演を要約・紹介する。(文責・編集部)
●水野直樹さん(京都大学人文研教授)
日本の敗戦・占領期は、現在に続く日本の政治・社会体制の根本が形作られた時期でもあります。
「4・28」によって在日朝鮮人・台湾人に何が起こったのか、を問うことで、日本の戦後体制を問い直すことにつながると思います。
敗戦後、日本の「領土」は、講和条約で定められることになっており、少なくともそれまでは、在日朝鮮人・台湾人は、
日本国籍者として取り扱われるはずでした。しかし1945年11月、アメリカは、彼らを「解放国民として取り扱う」としながら、
「必要の場合には…敵国人として取り扱うことができる」という連合国最高司令官あての指令を出します。これが在日朝鮮人・台湾人へのWスタンダードとなっていきます。
45年10月23日、「在日朝鮮人・台湾人も選挙権・被選挙権を認めてもよい」とする内容の「衆議院議員選挙制度改正要綱」が閣議決定されました。
しかし、議会の反対にあい、「改正衆議院議員選挙法」(同年12月17日)の付則では、
「戸籍法の適用を受けない者の選挙権・被選挙権は当分これを停止する」と変えられてしまいました。
《戸籍法の適用を受けない者》とは、在日朝鮮人・台湾人のことです。これについて日本政府は、
「ポツダム宣言によって、朝鮮・台湾は日本の領土から離脱し、国籍を喪失したのだから、参政権も有しない」と議会答弁します。
46年2月、GHQは憲法草案を日本政府に提示します。「法の下の平等」を規定した13条は、国籍などによる差別を禁止していました。
しかし、ここでも日本側は「外国人も日本臣民と同様の取り扱いを受けることを定めるのは妥当ではない」と抵抗し、
結局この条文は「すべて国民は…」と書き換えられました。在日朝鮮人・台湾人を排除する、明らかな後退です。
そして日本政府は、この「国民」の規定からも在日朝鮮人を排除していきます。「外国人登録令」です。
47年5月に交付・即日施行された「外国人登録令」は、「台湾人のうち内務大臣の定める者及び朝鮮人は、当分の間、これを外国人とみなす」と定めました。
密入国者の取り締まりがその主な目的ですが、一定の台湾人および朝鮮人を外国人と見なし、さらに登録を義務づけるものです。
また、米国の冷戦戦略を受けて、49年10月に日本政府は「団体等規制令」(破防法の前身)によって在日本朝鮮人連盟を解散させました。
これに先立つ9月には朝連の、10月には朝鮮人学校の土地・施設・財産が没収されます。
翌50年2月の政府部内(次官会議)では、この没収分を朝鮮人子弟の奨学金資金に充てることを議論していますが、実行されることはありませんでした。
朝鮮学校の閉鎖にあたり、日本政府は「朝鮮人も日本国籍を維持」しているから、日本の学校に就学する義務がある、としていました。
しかし、「4・28」=サンフランシスコ講和条約発効によって、在日朝鮮人の日本国籍が喪失します。
そして、朝鮮人児童・生徒への教育は、「希望する者の入学を許可する」という《恩恵》として位置づけられていくことになります。
こうして日本政府は、在日朝鮮人・台湾人に対して、一方では「日本国民だから」として、民族教育などのアイデンティティー形成を妨害していく一方で、
「外国人だから」と、監視・管理していくのです。これは日本政府のWスタンダードです。
日本政府は植民地支配精算問題を意図的に無視・否定し続けており、「4・28」の持つ意味は、とても象徴的なものなのです。
URLリンク(www.jimmin.com)