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▲「日本列島を切り開いた韓国の仙人」/ユ・サンジョン著/学問出版編/151頁/2万5千ウォン
済州(チェジュ)出身で陸軍士官学校12期卒業、2軍司令部企画管理処長や70師団長などを歴
任した予備役准将ユ・サンジョンの畢生の力作だ。著者は1984年から2011年まで大邱(テグ)科
学大で国民倫理と軍事学を教えた経歴も持つ。
歴史専攻者ではないが日本の歴史的起源が私たちの先祖であることを徹底した考証と踏査を通
じて一つ一つ立証している。加えて既存の学問的成果物も紹介する。このため著者は暇が出来
れば日本列島のどこでも訪ねた。先祖の足跡が最もたくさん残っている九州はもちろん京都や大
阪、東京、島根など日本全域を縫った記録物でもある。
この本の主な内容は2003年4月から2008年8月まで国軍予備役将軍らの会である星友会が発
行する月刊雑誌に「日本に光った渡来文化」という題で39回連載したものだ。この本の目次だけ
見ても著者が伝えようとするメッセージが分かる。
日本渡来文化から古代日本の開国神、三国の文化を探して日本の国宝の大半が韓国仏教文化
財に遡る。私たちの先祖は紀元前3世紀から未開国だった日本に稲作を普及しながら弥生文化
を開いたと説明している。特に3国時代から抜けるが伽耶が日本建国のルーツという。日本古代
の九州は伽耶の分国に他ならないということだ。
また、私たちの歴史から伽耶史が脱落し無視することで私たちの歴史の一部を失う結果を産んだ
と主張する。従って伽耶を含む百済、新羅、高句麗など韓半島の文化民族が日本列島に渡り花を
咲かせた開拓の足跡がまもなく日本の古代史の根元を成して、その痕跡が今の日本のあちこち
に残っているという。
「天孫降臨」というモチーフが伽耶の金首露(キム・スロ)王の神話と似ているというのが著者の説
明だ。キム・スロ王の話で降臨の場所になる亀旨峰(クジボン)が日本の古事記と日本書紀に現
れる「クシフルタケ」と同じだという。伽耶から皇族が移住した神話まで持って行ったとしか説明で
きないと主張する。
著者はまた伽耶の後に続き新羅と百済が日本古代文化の二つの幹を成すと説明する。その一つ
が韓半島東南部から島根県出雲に達する道に入って大和文化を作った新羅系で第10代の崇神
天皇は新羅系とする。他の一つは北九州から日本の内海の瀬戸内海を通じて大阪地域に進出す
ることになる百済系だ。
15代と16代の応神・仁徳天皇が百済系で、この父子によって'河内'王朝が繁栄することになった
という説明を後に続ける。河内王朝が外来民族勢力で百済国王家の息子だと主張する日本学者
の文も紹介している。特に百済系初の天皇である応神天皇の時に至り百済の近肖古王(クンチョ
ゴワン)が七支刀を下賜したと付加的に説明している。
百済系人物で省けない人物が博士王仁(ワンイン)だ。大阪から京都に行く中間地点の枚方に王
仁博士の墓があり東京の真中の上野公園にも10尺を越える王仁博士の彰徳碑が建っている。応
神天皇を推薦した人物も王仁博士で、日本古代文化の全盛期である飛鳥文化も百済人が起こし
た仏教文化と説明している。
高句麗が日本に残した痕跡は高麗(日本名:コマン)として残っているというのが著者の説明で日
本国内で伽羅という名前は伽耶から百済はクドラ、新羅はシリギ(白木)と表記しているという。埼
玉県にある高麗神社は高句麗最後の王の宝蔵王の息子が日本に援軍を要請しに来て定着した
ところだという。今もこの神社の案内板には「高句麗国王族の高麗王若光を迎えた所」とされる。
大韓仏教青年会長、桐華寺(トンファサ)信徒会初代会長を勤めた著者は現在、大韓民国守護仏
教徒総聨合大邱慶北)会長。
イ・ドングァン記者
ソース:韓国毎日新聞(韓国語) "日建国根は伽耶…古代九州は分局と違わなくて"
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