13/05/07 21:48:57.12 K/qzd7ME
URLリンク(cfile215.uf.daum.net)
17世紀の安龍福の渡日に触発された事件以後、江戸幕府を通じて公布された鬱陵島渡海
禁止令。この禁止条項の効力はよく守られただろうか。浜田市郷土資料館にはその後の状
況が分かる貴重な資料が残っている。 1837年江戸幕府が全国海岸に掲げた警告文がまさ
にそれだ。
幕府は全国法令に該当する警告文を通じて渡海禁止に対する強力な意志を日本国民に伝え
ようとした。きっかけは朝鮮領鬱陵島に行ってきたという理由で船員八右衛門が処刑され
る事件だった。渡海禁止令が下されてから 100年余り経った後、八右衛門は独島へ行くと
いう言い訳で鬱陵島へ行って処刑された。これに対して日本は当時渡海禁止令に独島は含
まれなかったと主張する。
●内藤正中名誉教授
「(独島を)鬱陵島に属した付属島と見て、日本では竹島、松島を一セットで呼びました。」
●池内敏教授
「鬱陵島渡海が禁止されれば独島の利用価値がなくなってしまいます。この二つの島はお
互いに結ばなければ意味がないということでしょう。竹島渡海禁止令を出した後に日本人
が独島だけ利用することはありえないという意味です。」
URLリンク(blog.naver.com)