13/05/06 22:10:24.75 Y+l6aLvM
1946年1月、竹島=独島は連合軍の SCAPIN 677号指令により日本の支配から切り離
されて米軍政庁の管轄下に置かれました。しかし、韓国は1948年に独立するや、米軍政庁
から竹島=独島も正式に引き継ぎました。
引き継ぎにあたり、韓国は竹島=独島を憲法4条や関連法規で韓国領と定め、慶尚北
道の管轄下に置きました。これらの一連の措置に対して連合軍はもちろん、日本から何の
異議申し立てもなされませんでした。国際法上も道義上も何ら問題のない合法的な措置で
した。
引き継ぎが正当になされたことは、その後の駐韓米軍が韓国政府へ竹島=独島使用願
いを提出したことからも確認されます。1951年6月20日、アメリカ第8軍のコルター将軍
は竹島=独島を爆撃訓練に使用したいとの許可願いを張勉首相へ提出し、公式に許可を得
ました(注2)。米軍政庁が竹島=独島を完全に韓国へ引き渡したことを示しています。
そうした流れに対して、日本はアメリカへ猛然とロビー活動をおこないました。具体
的には、事実上の駐日大使ともいえるシーボルド駐日政治顧問へ働きかけました。それが
功を奏し、シーボルドは竹島=独島を日本領とし、そこに気象およびレーダー局を設置す
ることによる安全保障面の利点を国務省へ説きました。
竹島=独島の軍事施設を韓国の統治下で設置するのは、朝鮮戦争で領土範囲が目まぐ
るしく変化していた当時の状況からすると安定的な運用にリスクがありました。そのため、
シーボルドは日本統治下で設置するほうが得策と判断したようです。
当時、米ソ対立の冷戦が極点に達していたので、シーボルドの提言は効果的だったよ
うです。アメリカは独自の第6次草案で竹島=独島を日本領としました。
しかし、条約はアメリカ単独の考えで定まるものではなく、連合軍を構成する各国の承
認を得る必要があります。特に竹島=独島を韓国領とするイギリス草案との調整は重要で
した。結局、米英共同草案で竹島=独島を日本領とする条文は除かれました。
外務省のパンフレットはふれませんでしたが、●注目すべきは、竹島=独島を自国領と
する日韓両国の主張は共に斥けられた厳然たる事実です。