【竹島問題】竹島の明治時代地図あった 「明治時代に人が往来する日本の領土だったことを示す貴重な資料」[05/03]at NEWS4PLUS
【竹島問題】竹島の明治時代地図あった 「明治時代に人が往来する日本の領土だったことを示す貴重な資料」[05/03] - 暇つぶし2ch282:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
13/05/05 16:10:10.83 lhGR3Gmf
●半月城教授の見解
  ラスク書簡を見ると、アメリカは1905年から当時に至るまで竹島=独島は島根県の管
轄 下にあると勘違いしていたようです。これは竹島=独島の実状を知らないか、あるい
は 知っていても無視しているのか、ともかく疑問の多い見解です。
  これに対する韓国の反論は2か月近く経過した10月3日になって、やっと韓国の卞栄
泰外務部長官からなされました。
  卞長官は、竹島=独島は島根県の管轄下にあるのでなく、SCAPIN 677号で日本の管轄
から切り離され、韓国が統治している現状などを訴えました。しかし、時すでに遅く、講
和条約が 9月8日に調印された後であり、後の祭りでした。
  以上のような経緯から、サンフランシスコ講和条約に竹島=独島は一言半句も記載さ
れませんでした。それにもかかわらず、塚本孝氏は「平和条約上、竹島を日本が保持する
ことが確定したのである」と断定しましたが、これは疑問です。
  塚本氏はその理由として韓国の領有権主張がラスク書簡により却下されたことなどを
挙げましたが、同様に竹島=独島を日本領とする明文規定も排除され、あいまいにされた
のであり、竹島=独島は「日本が保持する島」にならなかったのは明らかです。
  元来、講和条約は条文で領土範囲が明確にされるのが通例ですが、サンフランシスコ
講和条約にかぎってはオーストラリアやニュージーランドなどの強い懸念表明にもかかわ
らず、竹島=独島やハボマイ・シコタンなどは条約に記載されませんでした。意図的にあ
いまいなままにされ、未解決の問題にされたのでした。それを外務省の川上健三はこう記
しました。
  竹島=独島もまたそのような(平和条約の領土条項で)未解決の地域の一つで、現に
日韓間で紛争になっていることは周知のとおりである。平和条約第二条(a)にいう、日本
がその独立を承認する「朝鮮」のうちにそれが含まれているかどうか、ないしは竹島の島
根県編入という措置が国際法上の領土取得の条件からみてどのように判断すべきか、等と
いう問題の検討は法律専門家にまつこととして・・・(注6)。
  竹島=独島が講和条約でどうあれ、確実に言えることは講和条約で韓国は決して不利
益をこうむらないということです。韓国やソ連は講和条約の調印国ではなかったので、条
約により韓国や現ロシアの既得権益などが侵されることはあり得ません。
  条約の当事国でない第三者は、その条約により不利益をこうむらないという当たり前
の原則は、当時すでに国際慣習法とされました。後日、これは条約法条約(ウィーン条
約)として 1969年に明文化されたのは周知のとおりです。
  したがって、韓国の竹島=独島に対する合法的な支配は講和条約により何らの悪影響
を受けないことはいうまでもありません。その状態が現在まで続いています。
  講和条約に竹島=独島はなぜ記述されなかったのか長い間ナゾだったのですが、その
理由を明らかにした資料が最近みつかりました。それは駐日アメリカ大使館から国務省へ
出された1952年10月3日付の書簡ですが、こう述べました。


次ページ
続きを表示
1を表示
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch