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このようにお爺さんは一生をかけて石島(お爺さんが呼んだ独島名)はわれらの領土で鬱
陵島の付属島嶼だから鬱陵島人がよく保存して子孫たちに譲らなければならないといつも
おっしゃった。解放後の1948年6月30日鬱陵島漁民たちが独島に出漁してから爆撃練習
中だった米5空軍の誤爆で30人余りが爆弾で死んだ事件がある。慶尚北道知事が1951年
独島に慰霊碑を建てる時お爺さんが老身の身で独島に一緒に行って弔詞を朗読した。
「天地神明よ、この島は天がくださった私たちの地で昔も今もうちの同胞の生活の基盤だ
からうちの同胞が大事にして、また守って行きます。今日も30人余りの私たちの同胞は
石島の守護神としてこの島を守ろうとします」とおっしゃったその哀切な声で弔詞を読ん
だ時を私は今もありありと憶えている。
お爺さんは独島に行って来て「スンチルよ、趣が分かるのか」と質問した。聞き返す筆者
に「趣と言うのは見掛けである服を言うのではない。人間の本当の趣と言うのは「人間内
在」の祖国と民族を愛する真の思考を言うのだ」とおっしゃった。