13/05/04 21:14:26.00 7FRe0yu+
>>166
竹島の正しい歴史
URLリンク(hinomarukai.hamazo.tv)
第一大邦丸が網揚げ作業をはじめたとき、およそ30mの距離から
無警告で、韓国漁船に潜んでいた憲兵が
”自動小銃で日本漁船を攻撃”しはじめた。
このときに第一大邦丸の漁労長・瀬戸重次郎さん(当時34歳)の後頭部に銃弾が命中、意識不明の重体となった。
これにより二隻の日本漁船は、韓国武装船に拉致された。
日本人漁師たちは韓国警察に、頭部に重傷を負った瀬戸さんのすみやかな治療を懇願
したが韓国側の医師は見ただけで「これは駄目だ」と言って手当を拒否
日本人漁師たちは、医療設備が整った韓国軍の病院で治療を受けられるようにしてくれ
と抗議したが何度も拒否。それでも食い下がって何とか入院の承諾を得た。
日本人漁師たちは病院までの搬送の間に死なないように、
生命維持のためリンゲル注射をしてくれるよう求めたが、
韓国人医師に「リンゲルは高価だから」と冷たく言われ躊躇
日本人漁師たちが、自分たちの所持品を売って現金を払うという約束をして、
ようやく瀬戸さんはリンゲルを一本注射をうってもらえた。
ところが韓国側の入院の承諾はウソだった。
瀬戸さんは放置されたまま 「救急車よ早くきてくれ」
という日本人漁師たちの願いも空しく瀬戸さんは2月6日23時ごろ亡くなった。
同日より警察に火葬の手配を頼んだが黙殺され、
船員は残った私物の一部を売り払って葬儀一式を整え、
足りない薪を付近の松の枝などで補ってさらに翌日に火葬した。
一方、残された日本人漁師たちは韓国側に拉致され”取り調べ”を受けている最中、
4畳の広さに18人が監禁され
全く食事を与えられないという虐待を受けた。
取り調べにおいても無理やり「自分たちは韓国領海を侵犯しました」
という内容の調書へ署名させられた。
ところが海図など取り調べ調書がデタラメであったことが判明、
在日米軍のグリッチ少将が事件解決に乗り出し李承晩大統領と会見、
李承晩は韓国憲兵隊が日本漁船を公海上で拉致した事に遺憾の意を表明
これによって日本人漁民と漁船の返還が決定され、2月15日に済州島を出発、
アメリカ軍のフリゲート艦に付き添われてようやく帰国した。
日本人漁師たちは韓国を出航するとき、ずうずうしくも韓国側から
「内地へ帰っても韓国のいわば官憲の悪口を言わないようにしてくれ」
と言われたという。
これが第一大邦丸事件である。
これだけではないのです。
1965年までに、
韓国側の蛮行によって
・死亡 44人
・拉致 3929人
・拿捕漁船 328隻
に及ぶ。