【韓国】 ヒロヒト日王を断罪すべきだ~アジアが存在する限り日本の侵略犯罪が忘れられることはない/中央日報コラム[04/29]at NEWS4PLUS
【韓国】 ヒロヒト日王を断罪すべきだ~アジアが存在する限り日本の侵略犯罪が忘れられることはない/中央日報コラム[04/29] - 暇つぶし2ch65:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
13/04/29 14:11:50.62 73Rt0B9c
【三田渡の盟約】
清との45日の抗戦の後、降伏を決意した仁祖は1637年1月30日、漢江南岸の三田渡にある清軍本営に出向き、
9回土下座(三跪九叩頭の礼)してやっと許してもらい。ホンタイジが天子であることを認めるという、
屈辱的な城下の盟を余儀なくされた。これ以後、近代に至るまで、朝鮮は清の冊封国となる。しかも、
仁祖の長男、昭顕世子李湍は人質として清に抑留された。今も三田渡(現・ソウル市松坡区石村洞)には
ホンタイジが立てた盟約碑(三田渡碑)が残る。清軍は50万の朝鮮人捕虜を引き連れて満州に帰還した。

(仁祖王)朝鮮王が自ら建立した石碑。大清皇帝功徳碑(三田渡碑)
愚かな朝鮮王は偉大な清国皇帝に逆った。
清国皇帝は、愚かな朝鮮王を窘め、この大罪を諭してやった。
我が朝鮮は、この清国皇帝の功徳を永遠に忘れず、また清国に逆った愚かな罪を反省するために、この石碑 を建てることにする

冊封 序列って、琉球以下!。
高麗では国王が亡くなると、中国(宋)から冊封使が来て承認が得られるまで「権知国事」というつなぎの称号まであった。
琉球など他の冊封国では国王が亡くなれば新たな国王がすぐに継ぎ、中国からの「事後承認」を得る形であったが、
朝鮮だけは「事前承認」を得る形を取っており、「中国の許し」を重視していたといわれる

『迎恩門』。それは「朝鮮王が9回頭を地面に叩きつけて擦りつけ、ひれ伏して中国(清)の使者を迎える門」
・朝鮮国王は清の皇帝によって任命される。
・朝鮮国内の事件は全て皇帝に報告しなければならない。
・朝鮮国王は清の使節をソウル城門まで出迎えなければならない。
・朝鮮国王の地位は、清国の廷臣よりも下。
・朝鮮政府には、貨幣の鋳造権すら与えられてない。
・朝鮮政府には清国への食糧、兵士提供の要求権もない。

朝鮮国王が宗主国の清国皇帝に奉呈した貢文に気に入らない言葉がたった一つあっただけで、
朝鮮国王は銀1万両を罰金として払った上に、年貢への見返りを3年間停止するという厳しい処罰を受けています。


韓国史教科書は「朝鮮」という国号についてこう書いている。

 「新王朝は、国号を朝鮮と定めた。『朝鮮』は、すなわち古朝鮮の伝統を受けつぐという意味で、
檀君に民族の独自性を求めるという意味が含まれている」
 確かに「朝鮮」という言葉にそうした民族意識の側面がないわけではないのだが、ここには決定的な嘘がある。
 『朝鮮王朝実録』(朴永圭著)によれば、「李成桂は、中枢院使・趙琳を明に派遣して、新政権の樹立をしらせる一方、
国号を改定するという意思を伝えた。これに対して、明の太祖・朱元璋は新政権の樹立を承認し、
国号改定に対して迅速に報告するように要請した。李成桂は元老たちと百官を集めて、国号を論議するようにし、
その結果、『朝鮮』と『和寧』という二つの名称が決まった。
(中略)このように『朝鮮』と『和寧』という二つの国号が決まると、李成桂は一三九二年十一月、
芸文館学士・韓尚質を再び明に派遣し、朝鮮と和寧の二つのなかから一つを国号として採択することを請うた。
(中略)翌九三年二月彼は『朝鮮』という国号を決めてもらい、戻ってきた」
 つまり、「朝鮮」という国号を決めたのは宗主国である明なのであって、「新王朝は、国号を朝鮮と定めた」というのは、
明らかに嘘ということになる。支那の王朝を宗主国とする体制を「華夷秩序」というが、
韓国の教科書は事実をねじ曲げてでもその華夷秩序に組み込まれていたことを隠していると言わざるをえない。


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