13/04/26 17:41:37.48
現在上映中の2011年の台湾映画『セデック・バレ』を、日本公開初日の20日に見た。
日本統治下の台湾で起こった事実を題材にした作品だ。中国大陸でよくある“愛国的”な視点では、決してない。
もちろん、過去の日本の所業を無批判に受け入れているのでもない。
セデック族の生活と昔ながらの考え方を、まずは「人としての誇りの問題」としてとらえているが、
「現代社会では、とても受け入れられない伝統」ということも、よく分かる。
歴史の流れの過程で発生した悲劇を、数々な残虐な出来事を含めて冷徹な視点で描写した作品だ。
■日本統治下の台湾で起こった史実を冷徹に描く
作品の題材は、日本統治下の台湾で1930年に発生した「霧社事件」だ。
山地の原住民、セデック族(解説参照)が、日本人警察官から受けた仕打ちに対し「がまんできない屈辱だ」と怒り、
警察駐在所や運動会会場を襲撃し、約140人を殺害。日本側は軍も投入して報復的な鎮圧作戦を断行した。
作品は、「日本人警察官と原住民の些細なトラブルが大事件に発展した」との単純な見方をしていない。
日本の統治による社会の大変化で、原住民がいかに追いつめられていたかを、執拗(しつよう)に描写する。
日本の進出が資源獲得という「帝国主義の発想」で進められたことを明らかにした上で、
「未開の原住民を進歩させる」ことに喜びを見出す“善意ある日本人”も描く。
さまざまな事実を、複合的に描いていることが、この作品の大きな特徴だ。
「首狩り」のシーンが繰り返されたため、「あまりにも残虐」との批判も出た。
しかし、作品はセデック族の首狩りについて「自らの狩り場に侵入した者」に対する制裁だったとの見方を明確にし、否定的には扱っていない。
台湾割譲にともに近代的兵器をたずさえて侵入してきた日本に対してもセデック族は果敢に抵抗するが、制圧される。
日本は投降したセデック族の命は奪わなかったが「誇り」を奪った。そして、近代化を押しつけた。
監督は「海角七号 君想う、国境の南」の魏徳聖(ウェイ・ダーション)。
ウェイ監督は、当時の状況をできるかぎり正確に描写しようと努めた。
統治の拠点となった「霧社」の街も、日本家屋を含めて違和感は全くない。和服や洋装の日本人の姿も同様だ。
「どの国の人が見ても説得力がある作品に仕上げるためには、徹底的なこだわりが不可欠」という、
監督をはじめとするスタッフの心意気が伝わって来る。
やや難点があるとすれば、日本語だ。
おそらく台湾人を起用したと追われる日本人役の俳優もいるが、日本語に微妙な違和感がある。
ただ、この点を過度にあげつらうのはやめておこう。
むしろ、限られた条件の中でさまざまな描写にベストを尽くしたと、評価すべきだろう。
ソース サーチナ 2013/04/26(金) 16:25
URLリンク(news.searchina.ne.jp)
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