13/04/22 19:36:10.96 BpaOOF0K
>>558
例えば応永28年の九月には京都で赤松氏の一族である有馬義祐が自身の若党によって寝所で刺殺されるという事件が起きている。
この若党はさらに有馬義祐の2歳の孫を殺した上に乳母を斬り付けて逃走した上に、警護の者を3人殺害している。
犯人の若党はその後、村井某という者の家に逃げ込んで「憑む(たのむ)」とだけ一言いって、そこの主人に保護を求めた
これだけの凶行に及んだ犯人を村井家はあっさりと受け入れて匿ってやっている。
過去に友誼を結んだ形跡も無いし、村井某は名前すら残って居ない木端武士である。
それでも室町殿の手勢が来るまで、この若党を匿った。「憑む」の一言だけで、だ。
当時の日本では、見ず知らずの人間であろうとも、一度身を預けられた以上、匿うのは当たり前だった。
「身を恃む(憑み)」というのは、恃まれた人間と恃んだ人間の双方にとって、それほど重大な契約ごとだった。