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学校暴力と子供たちの死をどうすべきか、ある集まりで話を交わすことになった。私は処罰以前に
「謝って許せるようすべきだ」と話した。何か言うのも恐ろしいほど多くの人が寄ってきて座わり「ひ
ざまずいて謝ってもそれに何の意味があるのか。一度傷ついたものが元に戻るか?憎しみと怒り
が消えるのか?」謝罪をする方も上の空でするし、形式的にする謝罪に何の意味があるのかと
いうことだった。
自分の利益のために人を操って殴って元に戻せない害を与えたら謝罪に何の意味があるだろう。
人間的な侮辱と自己恥辱感の中で奴隷のように卑屈に我慢して耐えた時間、恐れと怒りにどっぷ
り埋まって無気力に死んでいった瞬間をどうして謝罪で解決できるのか。処罰から免れるため、形
式的にする謝罪から心より謝る過程まで、数千重の恐れと罪悪感の皮を一つずつ剥がしていく…。
恐れと罪悪感から抜け出す時、容赦は成り立つ。その皮を剥ぐ行為が謝らせる。
(中略)
人生を根こそぎ強奪された日本軍強制慰安婦お婆さんたちの要求は‘謝罪’だ。戦争と性的奴隷を
作った主犯である日王の謝罪を今も毎日、死と共に待っているのだ。性暴行被害当事者もやはり、
考えたくもない、顔も見たくない加害者に願うことは「ひざまずいて謝れ」ということだ。彼らが心よ
り謝って再びそのような行動をしないことが真に願うところだ。
暴力の現場で謝れば許すようにしよう。‘謝罪’と‘容赦’は和解の始めであり終わりだ。それだけが
平和と愛に達することが出来る。
イ・ウンジュ<文学治療師>
ソース:嶺南日報(韓国語) [文化散歩]謝罪
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★1の立った時間:2013/03/25(月) 21:16:09.00