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関東大震災時の朝鮮人に対する虐殺経過を加害者から直接聞き取った調書の存在がこのほど、明るみとなった。
発見した早稲田大学文学学術院の藤野裕子助教によれば、歴史研究者がこのような裁判記録を明らかにしたのは初めてではないかという。
藤野助教は「軍隊がデマを流したことを裏付ける決定的な証拠」と話している。
タイトルは「伊藤金次郎外九名殺人事件」。
1923年10月7日から28日までの警察聴取書、検事聴取書、予審調書、死体検案書、巡査報告書などからなり、全部で370枚。
資料調査にあたっていた藤野助教が08年、東京弁護士会・第二東京弁護士会合同図書館で偶然見つけた。
これらは加害者の弁護人が同図書館に寄贈したもの。
調書を読んだ藤野助教はあまりの凄惨さに正気でいられず、何回も席を立ったほどだったという。
コピーは許されず、タイプライターを持ち込んで2カ月がかりで写し取った。現在はマイクロフイルムにして早稲田大学で公開している。
舞台は東京府南葛飾郡南綾瀬村字柳原(現在の東京都足立区柳原)。
1923年9月3日、自警団を構成していた伊藤金次郎らが同胞労働者9人が居住する4軒長屋の1軒を取り囲み、7人を殺害。
虐殺したことで新たな恐怖にかられ、翌4日朝にもかろうじて茄子畑に逃げ延びていた1人を死に追いやったというもの。
死体検案書によれば、被害者はいずれも24~26歳の男子。犠牲者2人については名前も明らかとなっている。
直接のきっかけは軍によるものであり、その虐殺が軍の流したデマに信憑性を与えたのは確かなようだ。伊藤金次郎は第1回予審調書で次のように述べている。
「朝鮮人が爆弾を投げたり、綿に油をつけたものを家へ投げ込んで火災を起こしたり、
日本人を殺したり悪いことばかりするので、四ツ木方面でだいぶ軍隊のために殺されたというような話を兵隊から聞いた」
同じく、四ツ木の土手で朝鮮人の犠牲者多数を目撃した田口精造は、付近に綿や石油の入った瓶が転がっているのを見て朝鮮人による放火を事実と信じ、
「このように殺されているのなら自分もやっつけてみたいというような気を起こした」と検事の取り調べに答えている。
軍隊の行為が民間に伝播し、虐殺の連鎖を招いたのだ。
法務省によれば刑事確定訴訟記録法による保管年限は、
「死刑又は無期の懲役若しくは禁固に処する確定裁判の裁判書」であっても保管期間は100年。
「有期の懲役又は禁固に処する確定裁判の裁判書」に至っては50年でしかない。誰に見せるのかは法務大臣の裁量とされている。
それだけに、弁護士会の合同図書館が保管していた今回の裁判記録は貴重なものといえよう。
(2013.3.20 民団新聞)
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