【日韓】 朝鮮の王様が愛したゾウ、韓国の大統領が激怒した象印炊飯器[03/17]at NEWS4PLUS
【日韓】 朝鮮の王様が愛したゾウ、韓国の大統領が激怒した象印炊飯器[03/17] - 暇つぶし2ch1:蚯蚓φ ★
13/03/17 22:09:49.75
URLリンク(www.fnnews.com)
▲1983年、旅行者豪華ショッピング事件で搬入された象印台所用品.

我が国に初めて象が入ってきたのは1411年(太宗11年)2月だ。「日本国王源義持(訳注:室町幕
府第4代将軍足利義持のこと)が使節を送って象を捧げた。象を司僕寺(牧場などを管掌する官
署)で育てることにしたが一日に豆4~5斗を食べる」と太宗実録は伝える。この象はパレムバン
(今のインドネシア)国王が修交目的で日王にプレゼントしたものだったが、おりしも将軍だった父
が死亡、日本は国中喪中だった。」

生前、将軍は仏教に心酔し朝鮮の高麗大蔵経を手に入れることを願ったので象と大蔵経と対等
交換したのだ。翌年、噂を聞きつけて見物にきた工曹典書のイ・ウ(李【王禹】)が、その格好のあま
りの醜さに嘲笑して唾を吐き、象が怒って踏み殺す異変が起きた。これに兵曹判書、柳廷顯(ユ・
ジョンヒョン)が「人を殺したうえ一年に数百斗を食べるので死刑が正しいが、王様の獣愛が限りな
いので罪一等を減じて全羅道(チョルラド)島に追放して下さい」王様は笑ってそのようにはからえ
と言った。

麗水(ヨス)の獐島(ノロ島)に島流しされた象はそこで放牧したが水草も食べず日々やつれていっ
た。さらに人を見れば涙まで流すという話に太宗はこれをかわいそうに感じ、再び全羅道(チョルラ
ド)内の陸地に移して育てることにしたが困難が多かった。その後、象は忠清道(チュンチョンド)に
移されて育てられたがやはりそこでも迷惑が激しかった。結局、忠清道観察使は「海島中にある
牧場に移すこと」を後日、世宗(セジョン)に上訴するとすぐに国王は「水と草が良いところを選んで
病気で死なないようにせよ」と指示した。

今と違い、朝鮮時代には行く所ごとに苦労の種になった象であった。このように日本から渡ってき
た象の亡霊が再びこの地によみがえったのは570余年が過ぎた1980年代初めだ。それも生きて
いる動物ではなく象を商標にした電気釜だった。当時、我が国の空港と港湾入国場では日本に行
く旅行者の大部分がこの電気釜を一つ持ち出すことが流行だった。どれほど人気が高かったから
1983年、釜山(プサン)のある女性団体が日本旅行中、豪華ショッピングで物議をかもした事件の
名前が'象電気釜事件'と呼ばれるほどであった。

象印電気釜よりも何倍も高い多様な商品があったが、旅行者すべてがこの台所用品を何個かず
つ携帯したせいでそのように呼ばれた。この事件が俎上に上がったのは日本の朝日新聞に出た
ゴシップ記事のせいだ。'韓国のJ女性団体観光客が下関にいる間ずっとショッピングだけして、帰
国して通関する時、荷物を手で持てず'足で押して運搬'した夫人がいるほど'という記事が次の日、
日本駐在特派員によって所属新聞社に送稿され、このニュースは長安の話題になった。

大統領府でこの記事に接した当時の全斗煥(チョン・ドファン)大統領はいきなり怒り出し、関係秘
書官に6カ月以内に韓国型電気釜を作れと指示したことが分かった。そしてこの作戦が成功を収
めるとすぐに自信を持って「生活必需品100品目の品質向上戦略」に乗り出し、一段階品質が向
上する契機になった。

一つの事件の波紋が意外にも産業分野に移り、禍転じて福となすの先例になった。王様が愛した
象は民の願望の中でもこの土地で延命したが、大統領が怒った日本製象印電気釜は事件後、も
はや私たちの台所では見られなくなった。

[イ・ヨンドクの関門百水](釜山税関博物館長)

ソース:ファイナンシャル・タイムズ(韓国語) (16)大統領が激怒した象印御飯釜
URLリンク(www.fnnews.com)


レスを読む
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch