【在日】日本では朝鮮人、韓国では半日本人と呼ばれ暴走した。人の国にすがる朝鮮人のくせに早く帰れと言う子供を殴り力で支配した[3/17]at NEWS4PLUS
【在日】日本では朝鮮人、韓国では半日本人と呼ばれ暴走した。人の国にすがる朝鮮人のくせに早く帰れと言う子供を殴り力で支配した[3/17] - 暇つぶし2ch1:ニライカナイφφ ★
13/03/17 21:19:38.70
◆「チョーセンジンとからかわれ、?走していた」
 ~劇団「新宿梁山泊」金守珍代表インタビュー
  「金芝河の民俗劇見て怒り・敵意は全て洗い流された」~

「こっちでは『チョーセンジン(朝鮮人)』と呼ばれ、あっちでは『パンチョッパリ(パン=半、
チョッパリ=日本人の蔑称)』と呼ばれました。私には金守珍(キム・スジン)という名前があるのに、
子どものころは一度もそう呼ばれなかった。ひどい扱いをされなかったときでも、
せいぜい韓国語か日本語が上手な外国人として見られていた」

日本の有名な劇団「新宿梁山泊」を率いる演出家、金守珍代表(58)。
金代表は四つの名前を持っている。
母方の祖父が付けてくれた「守珍」、生まれてからしばらくして戸籍に掲載された「グァンス」、
日本での通名の姓は「大山」。

「父は6.25(朝鮮戦争)から逃れる際に家族と別れ、日本に定住するようになり母と出会いました。
男児が生まれたのでトルリムチャに倣ってグァンスと名付けたのですが、
当時は本妻の子でなければ戸籍に掲載できませんでした」。
トルリムチャとは、一族の間で始祖から数えた男子の世代を表すため、
どの代に属するか一目で分かるように名前の1字に共通して用いる漢字のことだ。

金代表は守珍という名前が好きだった。
ところが、「女の名前みたいだ」と日本の子どもからひどくからかわれた。
「スンジンという名前もしばらく使いましたが、いじめは減りませんでした。
『今後お前らに服従して名前を変えることは決してないだろう』と歯を食いしばりました」。
金代表が絶対に日本国籍を取得しないと心に決めたのもこのときだ。

1987年に「新宿梁山泊」という劇団を立ち上げた。今では金守珍という名前で、
日本を代表する舞台人として世界の舞台に立っている。
フランスのアヴィニョン演劇祭をはじめ、米国・欧州・南米の有名な劇場で作品を上演した。
在日韓国人の生活を描いた舞台『百年~風の仲間たち』上演のため来韓した金守珍代表に
12日、ソウル市内の斗山アートセンターで会った。

「成功した後の姿だけを見ると、差別を受けずに成長したように思われるが、
小さいころは『歩く爆弾』でした。毎日けんかばかり。
『人の国にすがって暮らすチョーセンジンのくせに、早く帰れ』と暴力を振るう日本の子どもたちに、
パンチを食らわせました。生きるためには強くならなければと思っていました。
だから私は空手2段を取りました。
人は力で支配することができる、力こそ権力だと思っていた。
「子どものころの私は人間ではなかった。人間の心というものがなかったんです。
『日本に勝たなければならない』という強迫観念にとらわれた機械でした」

道に迷っていた金代表にあるべき道を教えてくれたのが演劇だった。
「1976年に金芝河(キム・ジハ)氏原作の民俗劇『チノ鬼グッ』を見てポロポロと涙がこぼれたという。
これは、農民たちが団結し、農村問題を象徴する3匹の化け物『水害鬼』『外穀鬼』『小農鬼』と闘う
というストーリー。初めて感動というものを味わいました。ようやく人間になったような気がして。
在日朝鮮人たちが受けてきた差別・抑圧・怒りも芝居を通じて昇華させることができるように
感じました」

78年ごろに日本を訪れた作家・黄皙暎(ファン・ソギョン)氏から「民俗劇の方法論」を聞き、
本格的に演劇界に入った。
「梁山泊」という劇団の名前は水滸伝に登場する反体制派の英雄集団にちなむ。

写真:劇団「新宿梁山泊」の金守珍代表は「芝居と出会い、怒りがエネルギーに変わった」と語った。
URLリンク(www.chosunonline.com)

朝鮮日報 2013/03/17 08:48
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>>2以降へ続く。


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