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東ティモールの慰安婦被害者の証言
クレメンティーナ・カルドゾさんの話
私はスアイのティリマールのワラ村の出身だ。
ある時、日本軍の命令を受けたジョン・オリベイラというリウライ(村長)の指示で、
村の者は男性も女性もズマライに行かされ、軍用道路建設の人夫をさせられることになった。
ズマライでは、村の男性と女性は分けられ、別々の住まい(小屋)をあてがわれた。
日本軍の兵士は女性たちの住まいから気に入った女性を次々とバラック(兵舎)に連行し、
性の相手をさせた。これらの女性たちは昼間はその他の村人とともに肉体労働に従事させられた。
当時、私は17、8歳で結婚していた。私も軍のバラックに連れていかれ、慰安婦をさせられた。
そのバラックにはたくさん、そう60名ぐらいの少女たちがいた。私は一度女性たちの小屋に戻された。
二度と連れていかれたくなかったので、夜中に密かに男性小屋へ行き、夫に事情を打ち明け、助けを求めた。
夫はその時まで私の身の上に起きていたことを知らなかったので、非常に怒った。
その後夫は女性小屋までやってきて、日本軍の兵士が私を連れていこうとするのにはむかった。
兵士が夫に向かって武器を振り上げたのを見て、私は夫をかばおうとして抱きついた。
兵士は抱きついた私ごと夫を殴った。夫は死んだ。
私はこの時に右手首を骨折した。大怪我だったので、その時は兵舎に連れていかれなかった。
傷は薬草で癒したが、私の右手首は折れたまま二度と動くことはなかった。
その後も日本兵は私を慰安婦にしようと連れにやってきたが、「夫が死んだのだから命は惜しくない。
連れていくなら死んでやる」と叫び、抵抗し続けた。夫の死後、私が慰安婦として働かされることはなかった。
私の知るかぎり、自分の意思で慰安婦になった女性などいないし、
また女性たちに報酬など一切支払われていない。
(2001年3月26日談)