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■ 韓国領表記古地図など資料, 鬱陵邑独島博物館で特別展
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(写真)
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▲ 慶北・鬱陵郡の独島博物館で観光客と住民が『対馬島は本来我らの領土特別展』を観覧
している。
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対馬島(テマド)が韓国領だった事を表す古地図の展示会が、独島(トクド)博物館で開かれて
いる。慶北(キョンブク)鬱陵郡(ウルルングン)の独島博物館は、日本・島根県が『竹島(独島の
日本式名称)の日』行事を開いた先月22日から博物館ロビーで、『対馬島は本来我らの領土
特別展』を開いていると3日に明らかにした。来る5月末まで続くこの特別展では、朝鮮時代から
近代に至るまで対馬島が韓国領と表記された古地図や近代地図などが展示される。
展示資料のうち、1592年に豊臣秀吉の命令で日本人の九鬼が製作した『朝鮮八道総図』には
鬱陵島と独島が描かれていて、対馬島が慶尚道に属した形で描かれている。1830年に日本で
作った『朝鮮国図』にも鬱陵島と独島、対馬島が朝鮮領土と示されている。
金正浩(キム・ジョンホ)が大東輿地図に先がけて作った青邱図には、「対馬島は元々新羅の
土地に隷属しており、実聖王7年まで東莱府(トンレブ)に属した島」と記録されている。18世紀
の中頃にイギリスで製作した地図にも対馬島を朝鮮側に表記している。18世紀に作ったと推定
される国内『朝鮮全図』なども全て対馬島を朝鮮の土地と表記していた。
展示場には李承晩(イ・スンマン)元大統領が対馬島の領有権を主張して、日本に対馬島の
返還を要求した事実を知らせる資料も展示されている。独島博物館のイ・ウォンフィ学芸研究士
(51歳)は、「対馬島は新羅時代から朝鮮半島の彊域(領土の区域)で、朝鮮時代にも対馬島
の人々が朝鮮の官職を授与されるなど朝鮮と密接な関係を維持している中、19世紀の後半に
日本の帝国主義が跋扈(ばっこ)しながら日本領に編入された」と語った。 彼は、「現在対馬島
と釜山(プサン)の間の海洋国境線だけではなく、日本が途方もなく独島の領有権を主張する
のは全て、『貪欲と略取』による日本帝国主義の副産物である事を知らせるために特別展を
企てた」と明らかにした。
現在、平日は1日平均100人余り、週末は300人余りが観覧している。
ソース:NAVER/京郷新聞(韓国語)
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