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沖縄本島で盛り上がる「反日」「反米」「親中」世論の背後に、中国の習近平総書記の存在が見える。
習氏は1985年から、沖縄県と歴史的に関係の深い中国・福建省に勤務し、2000年に47歳の若さでトップの省長になった。
県政関係者によると、習氏は福建省にいた17年間に、少なくとも沖縄県を4回訪問したという。私はこのうち2回を新聞記事などで確認した。
琉球王国時代、北京に向かう王府官吏たちは福建省福州市の「琉球館」をベースに活動した。
福建と沖縄は民情が酷似しており、福建には沖縄にある亀甲墓も見られ、王国時代の沖縄人墓も存在する。
習氏は沖縄を訪問した際、他の共産党幹部のような自己主張はせず、温厚に笑みを絶やさず、謙虚に接したという。
沖縄県民のノスタルジアと、習氏の性格が相乗して、沖縄政財界の心を捕らえたのである。
沖縄県と福建省は1997年9月、「沖縄県・福建省友好省県」を締結した。習氏はこのとき、福建省党委員会副書記であった。
これに先立ち、94年から2001年まで、沖縄県福建友好サミットが計7回、沖縄県と福建省で開催されている。
沖縄県で開催された第1回サミットには、福建省の陳明義省長ら170人が訪問したのをはじめ、
沖縄開催の3、6、7回サミットには、それぞれ33人、46人、19人の福建省代表団が来県している。
習氏が福建省長時代の2002年8月、「沖縄県・福建省友好締結5周年記念式典」が福州市西湖飯店で盛大に行われた。
習氏は、沖縄と福建の600年にわたる交流の歴史を強調し、「未来に向けてさらなる友好関係を築いていきたい」とスピーチしている。
さらに習氏は、沖縄政財界の有力者らと個別に面談し、「私はこれから上に昇っていきます(=出世していきます)。
皆さまとお会いできるのは難しくなるかもしれませんが、私の腹心を紹介します。彼に一言申しつけてくだされば、私は必ず応えます」と丁重に語ったという。
中国の学者や軍人は最近になって、「琉球はもともと中国の属地。日本によって強奪された」
「釣魚島(尖閣諸島の中国名)だけでなく、琉球群島全体の帰属問題を持ち出すべきだ」と言い始めた。
孫子の兵法には「敵を分断して攻めよ」とある。沖縄県における「反日」「反米」「親中」世論の高まりは、
習氏が長期間にわたって周到に進めてきた、沖縄と日米の分断工作の1つの結果ではないのか。
今沖縄には、習氏に魅了されて「親中派」になった政財界人が少なくない。おそらく、3月の国家主席就任の式典には、
沖縄県の仲井真弘多知事や、那覇市の翁長雄志市長ら、多くの沖縄県人が招待されるだろう。
URLリンク(www.zakzak.co.jp)
■惠隆之介(めぐみ・りゅうのすけ) 1954年、沖縄県コザ市生まれ。78年、防衛大学校卒業、海上自衛隊幹部候補生学校、世界一周遠洋航海を経て、艦隊勤務。
82年に2等海尉で退官し、銀行へ就職する。97年 米国国務省プログラムで国際金融、国家戦略などを研修。現在、拓殖大学客員教授、八重山日報論説委員長。
【日中】「中国万歳、1日も早く日本から解放せねば」沖縄でオスプレイ反対など勢い増す「反日」「反米」世論[02/26]
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