【日中米】惠隆之介氏「習近平氏は福建省勤務時代から沖縄と日米の分断工作を進めてきた、今や沖縄要人に親中派が多数」[02/27]at NEWS4PLUS
【日中米】惠隆之介氏「習近平氏は福建省勤務時代から沖縄と日米の分断工作を進めてきた、今や沖縄要人に親中派が多数」[02/27] - 暇つぶし2ch1:帰って来た仕事コナカッタ元声優 φ ★
13/02/27 09:30:04.40
沖縄本島で盛り上がる「反日」「反米」「親中」世論の背後に、中国の習近平総書記の存在が見える。

習氏は1985年から、沖縄県と歴史的に関係の深い中国・福建省に勤務し、2000年に47歳の若さでトップの省長になった。
県政関係者によると、習氏は福建省にいた17年間に、少なくとも沖縄県を4回訪問したという。私はこのうち2回を新聞記事などで確認した。
琉球王国時代、北京に向かう王府官吏たちは福建省福州市の「琉球館」をベースに活動した。
福建と沖縄は民情が酷似しており、福建には沖縄にある亀甲墓も見られ、王国時代の沖縄人墓も存在する。

習氏は沖縄を訪問した際、他の共産党幹部のような自己主張はせず、温厚に笑みを絶やさず、謙虚に接したという。
沖縄県民のノスタルジアと、習氏の性格が相乗して、沖縄政財界の心を捕らえたのである。
沖縄県と福建省は1997年9月、「沖縄県・福建省友好省県」を締結した。習氏はこのとき、福建省党委員会副書記であった。

これに先立ち、94年から2001年まで、沖縄県福建友好サミットが計7回、沖縄県と福建省で開催されている。
沖縄県で開催された第1回サミットには、福建省の陳明義省長ら170人が訪問したのをはじめ、
沖縄開催の3、6、7回サミットには、それぞれ33人、46人、19人の福建省代表団が来県している。

習氏が福建省長時代の2002年8月、「沖縄県・福建省友好締結5周年記念式典」が福州市西湖飯店で盛大に行われた。
習氏は、沖縄と福建の600年にわたる交流の歴史を強調し、「未来に向けてさらなる友好関係を築いていきたい」とスピーチしている。
さらに習氏は、沖縄政財界の有力者らと個別に面談し、「私はこれから上に昇っていきます(=出世していきます)。
皆さまとお会いできるのは難しくなるかもしれませんが、私の腹心を紹介します。彼に一言申しつけてくだされば、私は必ず応えます」と丁重に語ったという。

中国の学者や軍人は最近になって、「琉球はもともと中国の属地。日本によって強奪された」
「釣魚島(尖閣諸島の中国名)だけでなく、琉球群島全体の帰属問題を持ち出すべきだ」と言い始めた。

孫子の兵法には「敵を分断して攻めよ」とある。沖縄県における「反日」「反米」「親中」世論の高まりは、
習氏が長期間にわたって周到に進めてきた、沖縄と日米の分断工作の1つの結果ではないのか。

今沖縄には、習氏に魅了されて「親中派」になった政財界人が少なくない。おそらく、3月の国家主席就任の式典には、
沖縄県の仲井真弘多知事や、那覇市の翁長雄志市長ら、多くの沖縄県人が招待されるだろう。

URLリンク(www.zakzak.co.jp)

■惠隆之介(めぐみ・りゅうのすけ) 1954年、沖縄県コザ市生まれ。78年、防衛大学校卒業、海上自衛隊幹部候補生学校、世界一周遠洋航海を経て、艦隊勤務。
82年に2等海尉で退官し、銀行へ就職する。97年 米国国務省プログラムで国際金融、国家戦略などを研修。現在、拓殖大学客員教授、八重山日報論説委員長。

【日中】「中国万歳、1日も早く日本から解放せねば」沖縄でオスプレイ反対など勢い増す「反日」「反米」世論[02/26]
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