13/02/26 01:40:29.21 iF54Es2Q
>>1
英国は、完全な植民地としてインドを搾取しました。
インド人達に綿を栽培させ、収穫させたものは、英国へ運ばれて行きました。
もちろん、インド人に教育の機会を与えず、病院も作りませんでした。
大学なんて、もっての他です。
それでも、英国の政治家達は、ただの一言も、インドに対して謝罪した事はありません。
賠償なんて、もっての他です。
でも、インドの人達は、英国に対して、謝罪も賠償も要求した事はありません。
インド人は、「我々は、物乞いでは無い」
と言いました。インド人は、誇り高き人々です。
日本は、
1895年の下関条約で、李氏朝鮮を中国から独立させ、
1897年にソウルに独立門を建設し、
1905年にロシアの朝鮮への脅威を排除し、
伊藤博文は、大韓帝国を、国家として何とか一人立ちさせようと、関係者に働きかけていました。
1909年に、大韓帝国の李完用首相が、日本への併合を要望した時も、伊藤博文は、日韓併合には反対でした。
何とか大韓帝国に独立国として国体を維持して欲しかったのです。
その伊藤博文を、1909年、朝鮮人のテロリストがピストルで射殺したのです。
伊藤博文が亡くなった後、大韓帝国は大日本帝国に併合されました。
日韓併合後、大日本帝国は、朝鮮半島に、学校を作り、義務教育を導入し、文盲率を圧倒的に減少させ、病院を作り、ダムを作り、道路やインフラを整備し、大学まで建設しました。
その大学には、西欧から来た外国人の学生も居ました。
その中の一人は、後にノーベル賞を受賞しています。
それくらい、教育レベルの高い大学を設置したのです。
しかし戦後、韓国の人達は、日本に謝罪と賠償を要求しました。
日本の首相達は、数え切れないくらい、謝罪と賠償を繰り返しました。
しかし日本が謝罪と賠償をすればするほど、韓国は謝罪と賠償を要求し続けたのです。
実に、67年間以上もの長期に亘っています。
しかし韓国人は、未だに謝罪と賠償の要求を辞めません。
次から次へとユスリタカリのネタを探してきては、謝罪と賠償を要求し続けてきたのです。そして今も、それは続いています。
日本は、英国よりも、遥かに謝罪と賠償を繰り返してきたのです。
韓国の人々は、インドの人々を、少しは見習ったらどうですか?