13/02/21 09:59:39.44
2月22日は島根県が制定した「竹島の日」。竹島は1952年、一方的に「李承晩ライン」に取り込まれて
以来、現在まで韓国に不法占拠されている。当然、日本人が渡航することはできないが、72年に「竹島に
上陸した」という島根県の漁船の元船長が、40年の時を経て一部始終を語った。
(写真)
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▲ 日韓の緊張が続く竹島
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「忘れもしない、昭和47年の7月の末だよ。その8月に長女が生まれたからね」
そう話すのは、九州出身で当時は浜田漁協所属のイカ釣り漁船(50トン)の船長だったK氏(70)。
今は漁師から転業、関東地方で作業船の船長を続けている。
「そのときは、スルメを追って北朝鮮から沿海州の沖の方まで行った。大漁でね、月末の30、31日に
浜田漁港で祭りがあったけん、それに間に合うように帰っていた」
竹島の脇を通過するとき、K船長は「祭りの始まりにはまだ1日あるのお」と思い、6人の乗組員に竹島
への寄り道を提案した。何人かは危険だと反対したが、K船長は「平気よ。危なくなんかないよ」と説得、
小型漁船が入るほどの岩場の間の深みに船を入れた。
銃撃などはなかったが、着岸した途端、10人ほどの兵士がわらわらと銃を構えてやってきた。K船長
は「日本語ができるのはおるかい」と聞いた。「撃たれるとか、じぇんじぇん思わんやったね」
40歳過ぎに見える隊長だけが日本語ができた。「どうして来た?」と日本語で問うてきた。
「どうしてもなにも、俺らの島やけんね。悪気はないんよ」と返すと、隊長は「日本の漁船は怖がって
近づこうとはしない。あんたは度胸がある。面白い。上がれ」と上陸をうながし、屯所のようなところに
案内されたという。
詰問されるかと思いきや、隊長は「飲もうか」と提案。小瓶焼酎を20本入りの箱のまま持ってきた。
その間、乗組員と兵士は一緒に岩場に繁殖していたカラス貝(ムール貝)を採捕。その貝やスルメを
肴に日本の芸能界の話題などで盛り上がった。夜が更けると、隊長から「もう遅いから一晩泊まって
いけ」と言われたという。
翌日、母港に着くと、どうやら行動が補足されていたらしく、海上保安庁の職員が事情を聴きに来た。
だが、K船長は「なーんも悪いことはしとらんけん」と言い、立ち話程度の聴取で済んだ。
島の隊長からは「また来い」と言われ、美空ひばりのカセットと蚊取り線香を土産に頼まれた。次の
出漁時、その土産を漁船に積んだが、「今度はずっと(航空自衛隊の)美保基地からレーダーで見られ
とるけん、面倒になるな」と上陸を断念。以後、上陸することはなかったという。
この話の真偽について、浜田漁協(現JFしまね浜田支所)に問い合わせたが、なにしろ40年も前の
話。「そういう話を知っている者は見つかりませんでした」との回答だった。
ソース:ZAKZAK
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