【日米韓】米ユダヤ人社会も‘旭日戦犯旗’退出に参加~ユダヤ人らと日本帝国主義最大被害者の韓民族が強力な連帯★2[02/15]at NEWS4PLUS
【日米韓】米ユダヤ人社会も‘旭日戦犯旗’退出に参加~ユダヤ人らと日本帝国主義最大被害者の韓民族が強力な連帯★2[02/15] - 暇つぶし2ch208:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
13/02/18 13:16:38.58 7y3Zq/BD
中国のイギリスやフランス租界を支配していたのはユダヤ人たちだった。
アヘン戦争をおこしたイギリス商人のサッスーン(三角貿易をしていて林則徐にみやぶられた)
は、イラク生れのユダヤ人。中国の権益を握っていたユダヤ人たちはそれを侵した
日本に対して大変な恨みを持っていると聞いた。

209:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
13/02/20 02:19:36.94 sOCvGw/9
>>208

1894年に「日清戦争」が勃発すると、「シェル石油」の創業者であるイギリスのユダヤ人マーカス・サミュエルは、日本軍に、食糧や、石油や、兵器や、軍需物質を供給して助けた。
戦後、日本が清国から台湾を割譲されて、台湾を領有するようになると、サミュエルは日本政府の求めに応じて、台湾の樟脳の開発を引き受けるかたわら、「アヘン公社」の経営に携わった。

日本が領有した台湾にはアヘン中毒者が多かった。総督府はアヘンを吸うことを禁じても、かえって密売市場が栄えて治安が乱れると判断し、
アヘンを販売する公社をつくって、徐々に中毒患者を減らすという現実的な施策をとった。サミュエルは、明治天皇から勲章を授けられている。

サミュエルは1902年に、ロンドン市長になった。彼は就任式に、日本の林董駐英公使を招いて、パレードの馬車に同乗させた。
外国の外交官をたった一人だけ同乗させたのは、実に異例なことだった。この事実は、彼がいかに親日家だったかを示している。

「日英同盟」を守りきれなかったことが戦前日本の犯した最大の失敗だった。サミュエルは1921年に男爵の爵位を授けられて、貴族に列した。
その4年後には、子爵になった。サミュエルは「どうして、それほどまでに、日本が好きなのか?」という質問に対して、次のように答えている。

「中国人には表裏があるが、日本人は正直だ。日本は安定しているが、中国は腐りきっている。日本人は約束を必ず守る。中国人はいつも変節を繰り返している。したがって日本には未来があるが、中国にはない。」

「日清戦争」勝利後、日本は、帝国ロシア南下政策と中国の権益をめぐって「日露戦争」(1904年)を行なった。しかし、日本はわずか1億7000万円の予算しか持っていないので、戦費を海外から調達しなければならなかった。
当時の日銀副総裁の高橋是清が日本の公債の買い手を求めて絶望的な気持ちで欧米を駆け回っていたとき、ロンドンで日銀創立の功労者であったシャンドと出会った。そのときシャンドは、
ユダヤ系投資銀行「クーン・ローブ商会」を率いるヤコブ・シフを高橋是清に紹介し、ヤコブ・シフは当時2億ドル(現在の1兆円)の公債の引き受けをした。

1905年、「日露戦争」で東洋の島国・日本が勝利すると、全世界のユダヤ人が狂喜した。今日のイスラエルの国歌「ハ・ティクヴァ(希望)」の歌詞を書いたユダヤ詩人ナフタリ・インベルは、
日本勝利の報せをきいて、明治天皇と日本国民を称える詩を発表した。

敬虔なユダヤ教徒であったヤコブ・シフは、後になって次のように述懐している。
「私はロシアにおけるユダヤ人虐殺に、深く憤っていた。ロシア帝国に対して立ち上がった日本が、ロシアを罰する“神の杖”であるにちがいないと、考えた。」

日本政府は、「日露戦争」勝利の功績に報いるため、1906年にヤコブ・シフを日本に招待し、明治天皇が午餐会を催し、シフ夫妻を拝謁。サミュエルと同じ勲章「勲一等旭日大綬章」を与えている。
もし日本が日露戦争に敗れていたとしたら、今日の日本はありえなかった。

イスラエルのバルトゥール駐日大使は次のように言っている。
「着任してすぐに、皇居において信任状の奉呈式が行なわれた。その時に、昭和天皇から

『日本民族はユダヤ民族に対して、感謝の念を忘れません。わが国はヤコブ・シフ氏に大変にお世話になりました。この恩を忘れることはありません』

という、お言葉をいただいた。大使は陛下の思いがけないお言葉に、驚いた。昭和天皇は明治天皇を慕っていられたので、日本がヤコブ・シフとユダヤ人によって救われたことをよく知っていられた。
昭和天皇は日本国民のほとんど全員が、日露戦争について関心を失っていたというのに、日本の運命を決定した日露戦争を、昨日のことのように覚えていられたのだった。私は深く感動した。」

昭和天皇は、その後のイスラエル大使に対しても、信任状の奉呈式が行なわれるたびに、ヤコブ・シフとユダヤ人への感謝を述べ、その上で、新任の大使を労われた。
次のような逸話もある。1989年、昭和天皇が崩御された。
イスラエルのヘルツォーグ大統領は「日本はナチスの友邦だったから参列するな」という国内の一部の反対を押し切って、大葬の礼に参列するために来日した。
東京でヘルツォーグ大統領は、こう挨拶したという。

「先の大戦において、多くの国がドアを閉ざしていた頃、日本及び日本の管理地では数万のユダヤ人に避難場所が与えられました。我々は日本国民のこの行為を永遠に忘れません。
ユダヤ人に対する日本の態度は、当時ヨーロッパで起きていた事とは全く対照的であり、ひときわ輝いています。」


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