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朴槿恵(パク・クネ)・次期大統領が選挙キャンペーンで使った呼びかけに「チャルサラボセ!」というのがあり、これが結構、中高年層に受けて当選の
一助になった。「豊かになろう」という意味で、彼女の父・朴正煕(チョンヒ)大統領時代の1970年代に挙国的に進められた「セマウル(新しい村)運動」
をはじめ、経済開発と近代化の国造りで合言葉になった。同じタイトルの歌もあり当時、国中でその歌が流れていた。
とくに農村振興運動だった“セマウル運動の歌”ともいわれ、このかけ声で韓国の農村は見違えるほど明るく豊かになった。
セマウル運動は、それまで疲弊していた農村を、農業外収入や農閑期作業などで所得を増やし、農民にヤル気を出させることで一変させた。生活環境
改善事業で住宅、道路、上下水道も一気によくなった。この運動でコメの自給も実現した。のちに「都市セマウル」や「工場セマウル」にも拡大した。
セマウル運動は「自助・自立・協同」の標語でスタートし後に「勤勉」も加わった。朴政権の最大功績といわれ、後年、東南アジアをはじめ各国でも関心を
持たれ“輸出”された。中国でも関心が高く研究対象になった。
ところが、このセマウル運動の源流は日本だったということはあまり知られていない。日本統治時代の30年代、朝鮮総督府が進めた農村振興運動が
それだった。
そして朴正煕が大邱師範学校を卒業し、軍人を目指す前にしばらく先生をしていた慶尚北道の聞慶国民学校は、その農村振興運動の人材育成の
ための指定校だった。「朴正煕先生」はその人材教育にあたり地域の農場でも指導にあたった。
農業振興運動の標語はセマウル運動のそれと全く同じで、当時の時代背景から「儀礼簡素化」や「忠孝愛国」もあった。朴正煕は後年、大統領に
なった際、これを思い出したというわけだ。
「セマウル運動は日本がモデル」という話は日本の研究者からも聞いていたが最近、日本在住の文化人類学者、崔吉城(チェ・キルソン)・広島大名誉
教授(下関の東亜大学・東アジア文化研究所所長)がその詳細を韓国情報紙「東洋経済日報」(2月8日号)に書いている。
崔教授は筆者の知人なので“無断紹介”を許していただけると思うが、彼はこの“朴正煕伝説”(?)を当時の聞慶国民学校の教え子たちにインタビューして
確認したという。
崔教授は日本に渡る前、韓国の陸軍士官学校の教官をしたことがあり、そのときに耳にしたエピソードも紹介している。士官学校の食堂で働いていた
おばあさんは朴正煕が師団長時代によく通ったうどん屋の人で、朴正煕が後に士官学校に招いたのだという。
父・朴正煕は日本風のうどんが好きだったとそのおばあさんは語っていたというが、娘の朴槿恵・次期大統領の好みはどうなんだろう、と気になる。
彼女は先ごろ手にしていた大型のハンドバッグが海外ブランド物じゃないか、との疑惑説に発展した。国産の中小メーカーの物ということで落ち着いたが、
父のように「日本風うどん」が好みなどと言おうものならたちまち大騒ぎだろう。
msn産経ニュース: 2013.2.16 08:11
URLリンク(sankei.jp.msn.com)
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