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日本の札幌では9日、第64回さっぽろ雪まつりの協賛行事として、「K-POP FESTIVAL 2013」が開催された。
日本の韓流ファンはパク・ヒョシン、MBLAQ(エムブラック)ら韓国アーティストの公演に熱い声援を贈った。
日本で韓流ブームが始まって10年。2003年にNHKで放送された韓国ドラマ「冬のソナタ」が火付け役となり、2000年代後半にはK-POPブームへとつながっていった。
ドラマがブームをけん引した「韓流1.0時代」は中高年層、K-POPが主軸となった「韓流2.0時代」は若年層を中心に韓流が広まり、持続的な成長傾向を示した。
一方では、日本国内で反韓ムードが漂い始め、一方通行式の交流に対する懸念の声も上がっている。
韓流ブームの出発点はドラマだった。「冬のソナタ」「天国の階段」など純愛ドラマから始まり、
「宮廷女官チャングムの誓い」「朱蒙(チュモン)」などの時代劇ドラマを経て、日本では2010年に放送された「美男<イケメン>ですね」まで、ヒット作が続いた。
この間、「ヨン様」の愛称で親しまれた俳優のペ・ヨンジュン、クォン・サンウ、イ・ビョンホン、チャン・グンソク、女優のチェ・ジウらが代表的な韓流スターとなった。
Ryu(リュウ)、ZERO(ゼロ)らドラマの挿入歌を歌った歌手やリュ・シウォン、故パク・ヨンハら俳優兼歌手の活動も目立った。企画段階のドラマが先行販売されるなど日本の投資も活発になった。
これに対し、韓国映画の成績は振るわなかった。2003年に「猟奇的な彼女」、2005年に「私の頭の中の消しゴム」などが日本で公開されたが、2006年以降は苦戦を強いられている。
韓国映画振興委員会によると、日本での韓国映画の配給は2005年の61作品から2011年は34作品に減少した。対日輸出額も2005年の6032万ドル(約56億円)から2011年は366万ドルに減った。
韓流ブームのバトンを受け継いだのはK-POPだった。2001年に歌手のBoAが現地化戦略により日本でデビューし、大きな成功を収めたが、BoAの成功は韓流の枠に縛られなかった。
10~20代が熱狂するK-POPブームの発端は2005年に日本デビューを果たした東方神起だった。東方神起もBoAのように現地化戦略を選択した。
2008年にオリコンチャートで初めて1位を獲得し、実力あるアイドルグループの多い日本市場で可能性を確認した。
当時、韓国と日本の音楽市場のニーズも上手くかみ合った。2000年代後半は日本国内でCD産業が停滞期に入り、大手レーベルを中心に新人育成よりは市場に直ちに投入できるコンテンツが求められていた。
一方、韓国の芸能プロダクションは韓国市場の規模が小さいため海外市場の開拓に積極的だった。
そのため、2009年にBIGBANG(ビッグバン)、2010年にKARA(カラ)、少女時代が相次いで日本に進出し、K-POPブームの導火線となった。
今ではSUPER JUNIOR(スーパージュニア)、2PM(ツーピーエム)、SHINee(シャイニー)、BEAST(ビースト)、超新星、INFINITE(インフィニット)など数多くのグループが活発な活動を展開している。
ただ、これらのグループは東方神起のように現地化戦略を通じた日本デビューではなく、韓国のシステムで制作されたコンテンツで日本に進出する方法を選択した。
動画投稿サイト「YouTube」やインターネット交流サイト「Facebook」などを通じて潜在的な日本のファンを確保していたためだ。
実際、KARAと少女時代は日本デビューを果たした2010年に「第43回オリコン年間ランキング2010」の新人セールス部門で1、2位を占めた。
日本でのK-POPの影響力は2010年以降に大幅に拡大した。韓国文化体育観光部の管轄下にある機関で構成される「韓流動向分析協議体」が発行した報告書によると、
K-POPの対日輸出額(CD、音源、公演の売り上げの合計)は2009年の2164万ドルから2010年は6727万ドルに急増した。
また、日本国内のK-POP(シングル、アルバム、ミュージックDVD)の売り上げのシェアは2009年は3%(106億円)だったが2010年は6%(200億円)、2011年は7.8%(245億円)と毎年増加した。
昨年、韓国でデビューした新人グループも日本での販路開拓に乗り出し、数多くのグループが日本で活動するようになった。
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