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北方領土交渉をめぐりロシアが平成4(1992)年、平和条約締結前の歯舞群島、色丹島の返還と、
その後の国後、択捉両島の返還に含みを持たせた提案を秘密裏に行っていたことが7日、分かった。
外務省で領土交渉に携わった東郷和彦元欧亜局長が産経新聞に証言した。
これまで提案の存在自体は知られていたが詳細が判明したのは初めて。
旧ソ連時代とは異なり踏み込んだ提案だったが、四島返還の保証はなかったため日本側は同意せず「幻の提案」として終わった。
提案は当時の渡辺美智雄外相とコズイレフ外相の会談の席上、口頭で行われた。ロシア側は(1)歯舞、色丹を引き渡す手続きについて協議する
(2)歯舞・色丹を引き渡す(3)歯舞・色丹問題の解決に倣う形で国後、択捉両島の扱いを協議する(4)合意に達すれば平和条約を締結する-と打診。
エリツィン大統領の了承はとっていなかったが、日本側が応じれば正式提案とする可能性があったという。
歯舞・色丹の返還を先に進めるという点で昭和31(56)年の「日ソ共同宣言」とは違った内容だ。さらに協議の行方によっては国後・択捉の返還の可能性も残した。
東郷氏は提案の特徴について「平和条約を待たずに歯舞・色丹を引き渡すという譲歩をロシア側はしている。
日本側には四島一括の看板を取り下げ歩み寄ってほしいと要請している」と指摘する。
これまで東郷氏は著書『北方領土交渉秘録』(新潮社)で「92年提案」と存在は認めていたが、交渉が継続していることもあり内容については明かしてこなかった。
ところが昨年12月、当時のロシア外務次官ゲオルギー・クナーゼ氏が北海道新聞の取材に対し「92年提案」について、
歯舞・色丹の引き渡し手続きに合意した後に平和条約を締結し、その後、日露間でふさわしい雰囲気ができれば国後・択捉を協議する、との内容だったと述べた。
東郷氏は会談には同席していなかったが、クナーゼ氏の発言について「事実関係が異なる。この内容が独り歩きしたら90年代の日露交渉がわからなくなる」として証言を決断した。
日本側が提案を拒否した理由としては、四島一括返還要求を捨てることへの拒否感、もう少し譲歩を引き出せるのではとの誘惑などが挙げられるとした。
東郷氏は「旧ソ連崩壊後で日露の国力に大きな差があった時ですら四島一括提案ではなかったことを認識すべきだ。
(当時と状況は変化したが)それでも今、ロシアは交渉に応じる姿勢を示している。安倍晋三首相にはプーチン大統領と勝負してほしい」と語る。
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