12/12/26 10:11:04.44
今年の韓国社会は大統領選挙で揺れ動いた。その余波で生活は時に厳しかった。民生は乾いていた。
だが、韓国社会には夢と希望と感動を与える人たちが依然としている。人生に活力を与える人々だ。
慰安婦少女像を制作した彫刻家のキム・ウンソン氏とキム・ソギョン氏夫妻らが「2012年の新しい人物」
に選ばれた。
2012年、韓国人は日本大使館前の少女像とともに泣いて笑った。
6月に日本の極右主義者鈴木信行が「竹島は日本領土」と書いた杭を少女像の前に刺した時は
みんなが一緒に怒った。7月に雨に打たれる少女像に傘を差し出したある警察官の報せはみんなの胸を
打った。冬が来ると市民は自発的に少女像に毛糸の帽子とマフラーを巻いた。
「平和の少女像」が正式名称だが、いまは「慰安婦少女像」として呼ばれる。少女像は元慰安婦の
水曜集会1000回目を迎えた昨年12月に設置された。
彫刻家のキム・ウンソン氏(48)とキム・ソギョン氏(47)夫妻が共同制作した。中央大学彫塑学科84年
入学の同期であるキム氏夫妻はこれまで社会参加的作業を多くしてきた。キム・ウンソン氏は現在民族
美術家協会副会長だ。
昨年5月にキム・ウンソン氏が韓国挺身隊問題対策協議会事務室を訪れたのが制作のきっかけだ。
当時挺身隊対策協議会は集会1000回を記念するための碑の建設を推進中だった。
キム氏夫妻は、「韓国人として元慰安婦の女性の役に立てることがなくいつも申し訳ない気持ちだった。
再び歴史の悲劇が繰り返されないことを願って少女像を作った」と明らかにした。
しかし彫刻作業は容易ではなかった。体よりも心が苦しかったという。キム・ウンソン氏は、「作業に集中
するほどその当時少女だった女性の苦痛がそのまま頭の中に入ってきた。とても腹が立ち悪口が自然に
飛び出したりもした」と話した。彫刻家の感情は作品にそのまま反映された。デザイン草案では両手を
つつましく合わせていた少女像は、握りしめたこぶしをひざに置いた姿勢に変わった。
キム・ソギョン氏は、「当時日本側が少女像の設置に反対しているというニュースを聞いてとても腹が立ち
こぶしを握った姿に変えた」と明らかにした。
少女像の制作には娘のソフンさん(11)のアイデアも盛り込まれた。キム・ウンソン氏は、「銅像の影を
おばあさんの姿で形象化したが、それは当時妻と話を交わしている間にソフンがアイデアを出し採択したもの」
と説明した。
キム氏夫妻は来年中に米国、ドイツ、シンガポールなどでも「平和の少女像」を制作・展示する計画だ。
8月には「慰安婦」をテーマに100人余りの美術家が参加する大規模展示をソウル市立美術館で開く。
キム氏夫妻は「被害者が先に平和を話しているが、彼ら(日本側)はむしろ歴史の時計の針を巻き戻す
ことばかりしている。韓国政府も元慰安婦女性の傷を抱きしめる努力をもっとしたら良いだろう」と話した。
URLリンク(japanese.joins.com)