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★チベット人、ジャンペル・イェシの抗議
中国のチベット族居住区で、中国共産党の高圧的政策に抗議して焼身自殺を図ったチベット人
は、2009年以来、80人以上にのぼる。その1人が3月26日、自らに火を放った27歳の男性ジャンペ
ル・イェシ(Jamphel Yeshi)さんだ。
焼身自殺を決意したジャンペル・イェシさんは、インド、デリーの北はずれにあるチベット難民の
居住区マジュヌ・カ・ティラ(Majnu ka Tilla)に暮らしていた。居住区ができたのは1963年、最高
指導者ダライ・ラマ14世が中国軍の侵攻から逃れてインドに亡命した4年後のことだ。
ジャンペル・イェシさんは友人たちからジャシ(Jashi)と呼ばれ、窓のないワンルームのアパートに
チベット人男性4人と暮らしていた。彼のマットレスは今も、ダライ・ラマなどの高僧のポスターが貼ら
れた一角にある。ほかの4人の寝床とともにU字形に配置され、薄い戸棚には所有していた本の
多くが残り、仏教やチベットの政治、歴史の本など、手垢が付くほど読み込まれている。
焼身自殺する前夜、ジャシは陽気に振る舞っていた。マジュヌ・カ・ティラから500キロ弱離れた
ダラムサラの友人2人が訪ねてきていたからだ。インドのダラムサラにはダライ・ラマが住み、
チベット亡命政府の拠点でもある。
その夜集まった7人の若い男たちの話題は、中国の国家主席、胡錦濤氏のインド訪問、そして
翌日に首都デリーの繁華街で行われる中国共産党統治への抗議行動についてだった。
翌朝、ジャシはいつものようにルームメイトたちより早く起きた。まず、マジュヌ・カ・ティラの仏教
寺院に行き、参拝者に茶を出す仕事を手伝った。部屋に戻ると、小さなバックパックと大きな
チベットの旗を手に取った。そして毛布をきちんと畳み、まるで祭壇に供えるように、ダライ・ラマ
の本とチベットの歴史の本をのせた後、抗議行動の参加者を運ぶ5台のバスのうち1台に乗り
込んだ。
バスには、近所の友人ケルサン・ドルマ(Kelsang Dolma)さんが乗っていた。2011年3月以降、
チベットで前例がないほど頻発している焼身自殺について皆が話している。今日の抗議行動で
も焼身自殺するチベット人が現れるかどうか、話題は集中する。ケルサン・ドルマさんはジャシが
背負うバックパックを軽くたたき、「これはガソリン? 火をつけないでよ!」と冗談を言う。
ジャシはにっこり笑った。
抗議行動の会場まであと数キロの場所でバスは停車した。デモ行進には、チベット人の大義
への関心を集める狙いがある。参加者たちには、主催者がペットボトル入りの水を配っている。
参加者の多くが付けているピンバッジには、胡錦濤氏の顔と血まみれの手が重なるように描か
れていた。
インド人による抗議行動が日常的に行われているジャンタル・マンタル(Jantar Mantar)に
着く頃には、3000人ものチベット人が集結していた。
>>2以降に続く
ソース:ナショナル ジオグラフィック Jeffrey Bartholet December 4, 2012
URLリンク(www.nationalgeographic.co.jp)
画像:ジャンペル・イェシさんの追悼式。インド、ダラムサラにて。Photograph by Dar Yasin, AP
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