12/11/21 13:05:19.54 qaupxI0k
オーストラリアやべえw
URLリンク(ja.wikipedia.org)白豪主義
白豪主義は、大英帝国が1788年、オーストラリア大陸を植民地化して、アボリジニを征服・迫害したことに始まる。
入植者によって、多くのアボリジニの人々が免疫の無い病気に晒され、
また、スポーツハンティングの延長としてアボリジニを殺害したケースすらあった。タスマニアでは一列に並んで島を縦断し、
拉致確保した先住民以外は殲滅されたともいわれ、19世紀後半には純血のアボリジニ・タスマニア島民は絶滅したともいわれる。
1870年代にはクイーンズランド州で砂糖産業が成長し、ソロモン諸島、バヌアツ、サモア、キリバス、ツバルなどの
太平洋諸島のカナカ人(Kanakas)らが年季奉公として徴募される。また強制連行ないし誘拐もあったとされる
(こうした奴隷貿易的行為はBlackbirdingといわれる)。連行されたカナカ人らはクイーンズランドやフィジーの
砂糖農園(プランテーション)で労働に従事した。
1920年には、豪政府は先住民族の保護という名の人種隔離政策も行った。
これらによりアボリジニ人口は90%以上減少した。1910年頃から1970年代にかけて、
アボリジニの子供を親元から引き離し、白人家庭や寄宿舎で養育するという政策も行われた。
アボリジニの子供も白人の「進んだ文化」の元で立派に育てられるべきという独善的な考え方に基づくもので、
政府や教会が主導して行なわれた。子供のおよそ1割が連れ去られ、結果として彼らからアボリジニとしての
アイデンティティを喪失させることとなった。彼らは「盗まれた世代」(Stolen Generation)と呼ばれている。
第二次大戦後、労働党が人口2500万人を目標にした大量移民計画を発表した。これはアジアに対する開放ではなく、
あくまで英国人やアイルランド人をさらに大量に受け入れることで白豪主義を完成させるためのものであった。
2005年には、シドニー郊外のクロヌラ・ビーチに5000人を超える白人が集まり、暴徒化した白人集団による中東系移民への
無差別襲撃が発生した(クロナラ暴動)。またスーダン人の難民に対して受け入れを拒否し、
政府もアフリカ人の移民を受け入れないという決定も下した。