12/10/18 12:06:42.13
国民国家の時代以来、いかなる民族も国家も強国、大国志向である。英仏だけでなく、オーストリー・ハンガリー
帝国、チェコスロバキア、ユーゴスロバキアも同君合邦国家だった。福沢諭吉の「脱亜論」の数年後に刊行された
樽井藤吉の「大東合邦論」は日韓清とも「同文同種同俗同州」のアイデンティティの下で違和感はないと主張
していた。日韓合邦も双方に賛否両論ある中で実現したものであり、一方的な強制だったとするのは言いがかりだ。
日韓合邦は「東亜の永久平和」への礎としてむしろ列強がそろって賛同し、利害関係の強い清露さえ異議を
唱えなかった。
また実際にも、戦後韓国が主張するような「七奪」どころか、人口も食糧も倍増し、主権も拡大、史実としては
「七恩」あるいは「七布施」と称するべきものだった。
戦後の李承晩大統領以降、次代の大統領が先代を粛清することはすでに韓国政治の掟となり、宿命ともいえる。
しかしそれは戦後から始まったことではない。李王一族をはじめ両班に至るまで繰り広げられる朋党間の争いは
朝鮮名物のようなもので、宿痾だった。李朝500余年にかぎらず、高麗朝からさらに檀君開国まで遡っても、
内ゲバが半島史の宿命だった。
ではなぜ「日帝」の時代が半島史上未曾有の、いや空前絶後の超安定社会となったのか。その理由はただ一つ、
朋党間の争いが半島から排除され、場外乱闘に変わったからだった。それが戦後になってまた再燃しただけのこと
である。ハングル世代は近現代史を語るのに際し、その掟から知るべきだ…。
続きは月刊正論11月号でお読みください
■黄文雄氏 1938年、台湾・高雄県生まれ。早稲田大学商学部卒業、明治大学大学院修士課程修了。
1994年巫福文明評論賞、台湾ペンクラブ賞受賞。主な著書に『日本人が知らない日本人の遺産』『韓国は
日本人がつくった』など多数。近著に『日本人はなぜ中国人、韓国人とこれほどまで違うのか』。
以上