12/10/16 13:36:40.07
(写真)
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▲ 1902年に釜山の日本領事館が作成した資料の傍線部には「本島(鬱陵島)の真東50カイリに
三つの小島があり、俗に『リャンコ島』と呼び、本邦人(日本人)は松島と称している」との記述
がある。/写真提供=保坂祐二教授
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日本が独島(日本名・竹島)を島根県に強制編入する3年前の1902年に独島を鬱陵島の付属島しょ
と認識していたことを示す日本の公文書が初めて公開された。
問題の文書は、1902年5月に釜山の日本領事館が本国に送った「釜山領事館報告書」と題する
文書で、独島を「松島」「リャンコ島」など呼び、鬱陵島を独島の本島だと認識する内容だ。この史料
は在日韓国・朝鮮人史を研究する朴炳渉(パク・ビョンソプ)氏が日本の外務省外交史料館で発見
したもので、世宗大の保坂祐二・独島総合研究所長が入手したものを14日、本紙に公開した。
報告書の「第七、漁業の状況」(原文は歴史的仮名遣い、以下同)という部分には「本島(鬱陵島)
の正東(真東)約五十海里に三小島あり俗に之(これ)『リヤンコ島』と云(い)い、本邦人は松島と
称す」とした上で、同島では多少のアワビが取れるため、本島より出漁する者があるが、島には
飲料水がないため、長期の出漁は不可能であり、4-5日で本島に戻るという記述があった。
これまで日本は1905年の島根県告示で、無主地だった独島を編入したと主張してきた。
蔚山大のシン・ヨンハ碩座(せきざ)教授(寄付金によって研究活動を行えるよう大学の指定を受け
た教授)は「1900年に大韓帝国が政令第41号で、鬱陵島を本島として、竹島、石島を含む鬱島郡
を領土として公表している。02年の日本の警察による報告書でも鬱陵島を本島と呼び、独島を付属
島しょとして記録している。これは当時の独島が韓国の領土であることを間接的に証明するもので
あり、大きな意味を持つ」と指摘した。
ソース:朝鮮日報
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