12/10/16 22:35:35.49 PTrBVeF/
>>900
カール大帝の「大帝」はいわゆる尊称で、彼の国が帝国だったわけではない(フランク王国)。
勘違いしている人が多いけど、「皇帝」がトップにいるから「帝国」というわけでもない。
ローマ共和国に住んでいた人々も、アウグストゥス以前から自分たちの国のことを「帝国」と呼んでいる。
西洋と東洋では「帝国」の定義が違うんだよん。
>>903
なんか勘違いが混じってるように思う。あなたの言う選挙で選ばれた皇帝が誰を指すか分からないが、
アウグストゥス~五賢帝の頃まで、ローマの帝位はだいたい先帝の子供か縁者が継ぐことが多かったよ。
二代皇帝ティベリウス(アウグストゥスの義理の息子)三代カリグラ(アウグストゥスの曾孫)
四代クラウディウス(ティベリウスの甥)、五代ネロ(クラウディウスの義理の息子)。
ネロの後は内乱状態に近くなって軍人皇帝が立ったり殺されたりしたけど、「先帝の縁者」というのは帝位を
継ぐのに十分な説得力があった。
五賢帝の時代は少し特殊で、縁者でないけど優れた人を後継者に指名するのが続いたが、これは縁者に適当な
人物がいなかったからで、五賢帝最後の皇帝マルクス・アウレリウスは自分の息子を後継者にしている。